“いまだ水俣病と認めず”とは何か 劇団三十人会公演『日本の公害』パンフ 劇団三十人会 <1970年(昭45)>
 “いまだ水俣病と認めず”とは何か劇団三十人会公演「日本の公害」パンフ劇団三十人会

 水俣病におかされた人々の心のひだは深く、私はいまだいくつかのことについて推察のまましまいこんでいる問題がある。
 映画『水俣-患者さんとその世界』のラストは、チッソの株主総会の場で社長に「オルガココロワカルカ?」と問うた患者さんの叫びでクライマックスを構成しているが、これは当初にはなかった劇的発展である。映画をとりはじめて半月ほどして、いわゆる「一株運動」が東京で発起され、つまるところ、株主総会までを織りこむこととなった。しかしその全プロセスには、患者さん自身にもてあますほどの華麗さもあり、それへの疑いもあり、又、裁判闘争の足をひっぱるものというローカルな考え方もあって、実現を危ぶまれる時期もあった。私はそれが絵に描いたように劇的になることを予想しただけに、それにもたれかかることを自戒する方がつよかった。最終的にはラストになったが、もしこの総会がなかったら、私は未認定患者との出遭いでうけた私の衝撃を語ってそれを終章にするつもりであった。
 未認定患者が、いまだ認定されず、誰の目にもその症状が水俣病そのものであり、簡単な質問をしただけで、患者家庭が、昭和三十年前後、水俣湾付近で魚をとっていたという事実が分るのに、いまもって委員の全員一致制というカラクリによって認定から外されているー不知火海の漁村のひだひだにかくされている、そうした未知の水俣病者たちーそれが五カ月のロケの最後にたどりつきえた人々であった。
 映画の中でも「(何度も申請するのは)アツカマシイ気イシテ……」と折れまがった児を抱いて、すすめる人にすら眼を外す母親のシーンは撮りながらも戦慄した。何ゆえにかくも納得せねばならないか?何ゆえに世間体にジワジワと身をしばられねばならないか?
 水俣病の患者さんたちは、昭和四三年の厚生省の公式見解によって、はじめて、”市民権”を復活した。声を大にして有機水銀によって殺されたといえるようになった-はずである。それまでに、海の気配の示すところ、魚どんの様子の語るところ、細川病院長や熊大の研究班の調査、実験のつまるところ、チッソの弾圧につぐ弾圧の裏ににおうもの、すべての焦点は工場の排水による毒殺毒害という上に結んでいながらも、患者さんはお上の結論の出るまで耐えなければならなかった。
 「私事の病い」ではないはずなのに、私たちはしばしば、ふと患者さんから、そんな気配を感じさせられる。「ワシャイヤシカッタケンナ、カニヤナマコ、ボラ、何デン丼一パイ喰ウトウタモンナ!コンナ病気ニナルトハ、無理ナカロウ思ウトデス」と牛島老人は自分の病気の原因を解いてみせる。あきらかに自分でよりによって「病気」になり、何とも「世間さま」に恥じる風体があるのである。何度「見苦ルシカ!」という嘆声をきいたであろう。それと水銀への怒りが複雑に雑居しているのだ。
 私は渡辺栄蔵さんについに確め得ていないことがある。彼の奥さんは二年前になくなられた。それまで十数年病臥したままでひそやかに他界された。もし厚生省認定以前だったら、はたして解剖に付されたであろうか。解剖の結果、脳が黒焦げで典型的な水俣病であることがわかり、審査委員会は声もなく全員一致で患者さん名簿に加えることとなった。老妻がまざれもなく水俣病であることを、渡辺さんは百も承知であったに違いない。それは疑う余地もない。けれども三十四年の交渉のときも、三十九年の更新のときも、妻の水俣病を自らかくしつづけてきた。厚生省の見解が出なかったら、恐らくそのまま埋葬されたであろう。三人の孫の全員が水俣病、幼い生命力を守るために、渡辺さんは十数年、患者互助会のリーダーとして闘いぬいてきた。しかし妻だけは外しておいた。それは全く不条理なはなしである。しかし、三人の患者をもつ多発家庭のひとりとして、考えぬいたあげくに自分の体の一部であった従順な妻だけは、補償の対象から抜いた。その陰影にみちた仕打ちは、妻にだけは分ってもらえる、という渡辺老人の古武士の心情を支えに、患者互助会でもっとも私心のない、公的人間としての行動を全うされようとしたのではないかと推測する。そうだとすれば、それは水俣病のもつ黒々とした世界とむきあった渡辺さんの闘いが生ぐさいまでに頬を打って迫るのである。
 漁(すなどり)としか言えぬ生き方を切り裂いた有機水銀、その責任を回避しつづけた体制側の”連帯”に個人で闘いをいどむに当って、自ら、妻を”未認定”にしてきつづけたことは一体何か。それが彼にとっての”世間”への対峙の仕方であったとしたら、未認定という残酷な構造を今ももっている水俣病は、患者への差別、圧倒的な疎外行為によって、成立し、同時に患者さんのもっともやさしい心根の部分を犯すことによって維持されているように思える。そしてその「時間」とはつまり、私たちであり、私たちの加害として対象化されているのである。未認定をめぐる複雑な外と内なる状況がある限り、「水俣病」は進行中であり、痛みの源流を放ちつづけているのである。