根室の冬 ノート <1993年(平5)>
根室の冬
 
 年明けて一九九三年二月、私たちは根室に向かった。流氷は遅れた気味ながら接近している。また二月七日はビザなし交流以後初の「北方領土の日」を迎える。出発前から、映画の際に期待したスケトウ漁は空前の不漁という。期待より不安に駆られながらの出発だった。
 根室は暖冬の土曜日、明日は「北方領土の日」にもかかわらず静かであった。
 釧路からの道に見る港々の船は陸にあげられ、海明けまで休んでいた。
 根室市に到着そうそう小泉(朝日新聞根室支局)氏の紹介で、国後島に滞在していた松井健二氏に会った。松井氏は島の新聞『ナ・ルベージェ(国境にて)』と電話連絡できるコネと語学力があり、前出の「光のメッセージ」のグループからもその名を聞いていた。商社員をやめて北方領土に行ったそうだ。無色だがロシア好きの人らしい。
 彼は無論北方領土で入る方法は知っている。しかし、あまりに名を馳せてしまったので日本側のことより、ロシア総領事館のほうが、ビザを出しにくいだろうという。
 二人の話では北方四島からのカニ船が、年末は週二日の入港日にはなんと十数隻も入港したのが、今年になってからはまだ数隻、ほとんどアテにならない落ち込みようだという。 モスクワにあるロシア漁業省のクォーター(割り当て枠)の締め付けで、その狙いが乱獲の阻止・資源の調整にあるのか、外貨の管理方式の変換のための過渡期なのかは分からない。根室のカニ卸業者は「またロシアが首を締める」と困っているらしい。
 小泉氏は羅臼取材から昨日帰ったばかりだが、「スケソウ漁は不振で、日に数キロといった水揚げでは網洗いの必要もなく、埠頭で暇な漁民が雪遊びをしいる。それはこの時期では異様でしたね」と心配している。

 昨年、ビザなし交流の一年で変わったのは道庁の行政指導である。“返還”のスローガンが後ろに引っ込み、“より交流を”といった風になった。市民にはこの変化は敏感に分かることだ。例えば、「北方領土の日」、根室アマチュア無線クラブがサハリン、国後との交信を試みている。納沙布岬に人影はない。笹川財団が建てた塔のうえから電波を飛ばしていた。学校の英語教師が英語で島の無線の相手をよんでいる。防衛庁の軍事管制地区内では考えられなかった。
 七日、町の公民館では十一回目になる行政主催の「北方領土の日・根室少年弁論大会」が開かれている。一市四町の中学生十人の入選者がつぎつぎに壇に立つ。男子がやや絶叫調なのに比べ、女子生徒は叙述的である。彼女たちには夏のロシア人中学生の訪問の印象やホームステイで彼等を招いた思い出が多い。昨年までは“返還”が織り込まれていない弁論は入選できなかった。今年からは自由課題になった。
 「飲んだジュースの空きカンも島の家の部屋の飾りにと持ち帰ったことに感動した」(中標津、矢島さん)。
 「一、二時間の遊戯で気持の垣根が取れた。ロシア人島民にも住民権がある。花咲港での別れでは不覚にも涙がでた」(標津、家政さん)。
 「島が戻れば乱開発は必至だ。かえって島は帰らない方がいいのではないか」(羅臼、千葉さん)と発言する。男子生徒が「やはり返して欲しい北方領土」というのと対照的だ。
 聴衆は高年齢の人が多い。女生徒の発言に驚き呆れるものもいた。
 「まともなことをしっかり言っていると思います、大人では思い付かないことを。十年前と比べると自由ですし、頷くことばっかりです」(根室育ちの母子会々長、松原マツさん)という元島民の婦人もいる。ヨチヨチ歩きのようだったこども交流は大人の予想を超えた流れをつくりだした。

 まえに触れたサケ・マスの違反操業事件はさらにひろがっていた。この数か月、釧路、根室では海上保安部によるサケ・マスの区域外操業の疑い(北海道海面漁業調整規則違反)家宅捜索と逮捕者が続出していた。一九トン船で「公海でサケ・マス五・五トンを取った疑い」という、かつてなら見過ごされた“微罪”にも容赦なく摘発は及んだ。海保は「逮捕は異例とは思わない。国際信義の問題もある」(結束好本部長)とその方針は堅かった。それまでは密漁者や特攻船しか挙げなかった海保が、こんどは道から正式に許可を受けた漁協所属の漁船を叩いている。それがサケ・マス漁船をふるえあがらせた。検察が海保を督励しているから、いままでのように情けも容赦もない。
 シロザケやトキザケならいいが、キロ三百円のマスでは「入漁料を払うために漁をしているようなもの」と船主たちはいう(朝日新聞、北海道版)。トキザケならキロ千円になる。その海域は許可された(マスのいる)海域より水温の低い、より遠くの沖合にいる。
 中型サケ・マスはもっぱらロシアの二百カイリ内で操業している
 八八年、サハリンにサケ・マスのふ化場を作り、その見返りに旧ソ連200カイリ内での漁獲枠を合弁事業の形で得ている。小型船主は出遅れ、参入はしていない。政治力がなかったからだという。結局サケ・マスは「ロシアの二百カイリ内で生き残る道を探すしかない」(道・国際課、同紙より)。

 根室市の水産業は小型サケ・マスに依存する割合が一段と高く、乗組員の雇用も地元が多いと言われている。この事件のあらましを知って、私たちのサケ・マス船同乗ロケは夢ものがたりに思えた。それでもいろいろ当たってみたが、出来ることは歯舞漁協の船で貝殻島のコンブ漁を撮ることぐらいだった。メディアは道の水産部も国の水産庁も漁獲割当量の三倍を黙認していたことをも突き止めて叩いた。根室の漁協や船主のマスコミへのガードが堅くなるのは当たり前である。どこにも食い入る隙間はなかった。
 オホーツクのサケ・マス漁が、今日まで、一度も映像に登場しないわけが改めて分かる。すくなくとも日本漁船団は撮影を断ってきたであろう。企業秘密に準じたものだったにちがいない。
 あとで相談にいった色丹島出身の得納宏氏は「いっそロシアの二百カイリで操業するサケ・マス中型船のほうが撮影にはオープンかも知れない。(同船する)ロシアの監督官は個室がほしいから、中型船(百トン以上)じゃなきゃ乗らない。その船ならカメラマンのひとりぐらい入れるかも…」という。「小型は中型業者からソッポをむかれているし、ロシアの役人も一九トン船じゃ狭くて居場所もないもん、今後も小型はオホーツクには入れんでしょう」。氏は島が返ったら息子といっしょに漁場を回復したいという人だ。刺し網の小型船主でもある。その目で中型と小型の実力差をはっきりと描いてみせた。
 得納氏は花咲港に家がある。ロシア漁船員船を見るのに慣れている。
 「食習慣って変わりますね。島のロシア人は醤油の味を覚えたせいか、花咲港で醤油を何本も買って帰るんだよ。だ捕された船には醤油はあるし、抑留漁民からご馳走になって味が分かったんかな。四島には醤油が人気でここの店の醤油は買い占められそうだ。うちのかみさんが物を買うにもレジであと回しにされるって怒ってる。」とおかしがっていた。
 根室市長、根室市庁、千島歯舞諸島居住者連盟などに表敬訪問するが、エリツィン大統領の訪日キャンセルのあと、マスコミの潮がひいたためか、大矢市長は取材を歓迎した。
 根室海上保安部もサービスがよかった。あらためてテレビ局の名刺の威力を知らされた。
 管理課長の竹本康雄氏は最近はだ捕事件は年に二、三件という。メモによれば昨年十月十二日、ロシア国境警備委員会と海上保安庁の初の洋上協議でロシア側からは「九月だけでも、越境操業・延べ六八六隻」との数字を出されている。それにくらべだ捕の件数はあまりに少ない。(今日のだ捕、発砲の事態からみれば、平穏無事な時代であった)。
 課長によれば、一五〇から五〇〇トン、三〇ノット級、二隻による二四時間の“中間線”パトロールをおこない、被だ捕防止活動をしているという。その要領を聞くと、
 「越境したら“だ捕される”と通告する。四島は日本固有の領土だから“行くな”と阻止はできない」という。なんとも彼我あうんの呼吸があっての話に思える。
 知り合いになった元島民をつぎつぎに訪問し、テレビ取材の協力を取りつけて回った。
 驚いたのは、夏、択捉島事情を話してくれた照井二郎氏が択捉島に行き、漁業指導をしてきたことだ。減船したことを悔しがっていた氏がそのままおとなしくしているはずはないと思ったが。「民間外交をやってきました」と豪快に笑う。
 照井氏によればその見聞は「仕事でみてきたから、外務省ではわかりっこない事実を見てきた」ことになる。
 いわく日ロの合弁に三つのタイプがある。一に、水産加工など施設を作って、見返りとして魚を獲る権利を得る(これは数社が本格的に実績をあげている)。二に、金で魚を買う。商品で買うことも同じ。三に、技術指導して魚を買う。氏は水産物と石油開発(交渉中)を手がけるつもりだが、択捉島では技術指導の在り方を見学してきた。
 コルホーズの施設は“原始的”だが、塩蔵加工の原理にはかなっている。魚を処理工場に送るさい、樋状の落差を利用しているし、塩は岩塩だが、ボイラーで液化して精製したものを使っている。お気には一八隻の大型運搬船と数えた。原魚は補給されている。ロシアの青年は必死で生き残ろうとしている。沖取りや流し網は好ましくないとロシア人はやっていない。日本の流し網にオロロン鳥やオットセイ、イルカが掛っていると言われた。
 「私がこの分なら島は十年で復興するというと、若い人は喜ぶのだが否定する、『半分くらいが怠けものなのでどうかな』というんだ。知ってますよ、欠点は」。
 氏はあまり多くを語らないが、楽観的に将来を見ている。
 天寧基地の軍関係のウクライナ人の帰国があいついでいる。四千人は減り、落ち着くところに落ちついて、島の再建にかかるだろうという。
 「サハリン州政府は島には冷たいです。百万以上の人間の世界と一万なんぼの島民とではくらべものになりません。サハリンでのビジネスはまさに戦国時代ですよ。合弁でも有利な条件がわきから出てくれば、結んだ契約もホゴにする。むちゃくちゃですが、山師のような日本人がばっこしているのも事実。日本人がロシア人をああいう風に変えたんです」と厳しい。カメラを盗まれたといって頭を掻いたが、盗まれる方が悪いとこともなげだ。
 「民間交流として、テンプラや塩辛を作ったら大好評で、講習会がつぎつぎです。スジコに醤油をつけて食べることなど教えてきた」。まさに元島民の面目躍如といったところだ。

 千島歯舞諸島居住者連盟理事長職を辞した箭波光雄氏はすっかり一市井の人になった。た。去年の鳴りものいりのビザなし渡航・第一陣では代表として「あえて島から追い出すようなことはしない」と問題発言をしながら、同時に「忍び難き四七年」と心情をのべた。「だが第二陣からは行政の長が団長で、返還の『へ』の字も出ない。スマイルのみ。ビザなし交流のとき、返還運動の風化のおそれを私も危惧したが、それが現実になった」。
 根室市では、マンネリ化をおそれる意見もでている。いままでの島民に限っての交流ではすぐ息が切れるし、友好々々では意味がないというのだ。
 「もっと相互に実のある往来に替えなければ、来年のビザなし交流は期待できない」(竹村孝章氏)との意見が台頭している。同時に照井氏のような民間外交がでているのだ。
 政府も細かい配慮を見せる。中標津の「光のメッセージ」が食料、菓子類を送ったのは二年前だが、政府は昨九二年に五回の緊急人道援助(小麦粉、医療品など、一回三千万円前後)をおこなっている。市民運動のアイデアは別の方向にむけられざるを得ない。

 根室市にはカニ船の様子で島の資源を診断している人もいる。
 根室市日ロ友好親善協会の竹村孝章氏は、
 「この二年のロシアのカニ船解禁は島の資源のとりつくしにつながった。毎週、何十隻の船を見ていると、従来のロシアの規制で保たれていた漁業資源が枯渇していくのが分かる。カニの生息地を探すのには、日本の密漁者の獲っている地点を探しあてることが一番だというので、むかし日本のカニ密漁船を取り締まったロシアの元監督官を探して船に乗せ、かつて没収した海図、越境証拠品から穴場探しをしている。日本の密漁者の獲った場所に籠を入れる、これではもうとりつくしてしまたでしょう。だから最近はもっと深海にいるズワイガニ、アブラガニまで上げてくるようになった」。
 また氏は日本人の活ガニ好みが一因だともいう。茹でた冷凍のカニでいいではないか。 「日本人は活ガニが一番いいと思うがじつは中毒をおこしやすいし、苦しんで痩せもする。カニは自分の成分に硫化水素を持っているから、海水から上げて空気に触れると、自己分解して肩の肉がなくなるんです。そんな痩せたカニを持ってきて、日本で販売ル-トに乗せている。ロシアの流儀はカニを獲ったら、イキのいいうちに甲羅を外して、海水で洗って炊けばいい。それが一番と思ってきた。食性がちがうんです。日本では活きカニが一番高いというので、それに慣れないロシア人がえらい苦労をして持ってくる。根室には運ぶのに時間のかかるから、サハリンのカニは持ってこれない。それで近い四島のカニを、ということになる。今、モスクワがコントロールしているようだが、四島の人に金が入るわけじゃないでしょ。モスクワ、レニングラードの人のほうがもっと腐っている」。
 その夜、竹村氏は取れたての花咲カニをホテルに届けてくれた。これほど美味しいカニに出会うことは一生もうないなと言いながら食べた。

 サケ、ホタテ、そしてスケトウの異変
 四島の資源については予想していたが、流氷の遅れやサケの回帰の極端な減少、ホタテの市価低落、そしてスケトウの依然として不振の現状は、オホーツクをその豊かさにおいて描こうとした私の企画自体を疑わしめるものだった。
 別海の野付漁協では、この数年、栄養塩を運んでくれる流氷がこないせいか、ホタテが栄養不良を起こし肉質が落ちた。水っぽくてまずい。その上サロマ湖や猿払などと生産を競って、全道で三六・五万トンも過剰になった。単価は崩れ、来年は半値を覚悟しなければならない(野付漁協、宮腰参事)。夏に“協同組合”の理念を説いて倦まなかった氏はサケにも言及して肩を落とす。「前年度一万トンが本年は半分の五千五百トンでしょう」 “つくる漁業”“育てる漁業”の悲鳴を聞く思いだ。沿岸漁業はそんなに脆弱なものか。
 道東から知床半島以北のオホーツク海側の沿岸漁業地帯を北上した。
 サケ定置網日本一の標津にあるサーモン科学館は平成三年、九一年に完成したサケ・マス研究の新拠点である。水族館展示とふ化養殖と並行したみごとな設計思想がうかがえる。ここにロシア人島民(漁民)の見学希望が多い。
 ここの主任学芸員の小宮山英重氏は噂では“道東の全共闘”といわれる気鋭の自然科学者である。氏は私のその“思い込み”を笑って取り合わなかった。
 ここがいかに生物の観察に優れたところかをオオワシ、オジロワシ。シカ、タンチョウ鶴、クマと名を挙げて日本一と評した。氏は専門分野であるサケ科の繁殖戦略(子孫作りの行動)、サケ科魚の生活史研究の場として、ここでの仕事に打ち込んでいた。
 氏によれば今のサケの減少も生物界の法則であって、資源の維持という観点から見て昨年の回帰数三千万匹台(近年平均四千万匹)がほどほどである。もともと標津の八つの川での自然産卵は、明治二十二年の千百万匹が最高だった。だから、むしろ二千万匹前後が適当、と地元の漁民のガッカリするような“私見”を述べる。
 ふ化放流され、また回帰したサケに痩せた小ぶりのものが目立つようになったという。 「理由は不明だが、サケの体長が小さくなっている。それはサケが一年ないし二年間、餌にあたっていないということだ。顕微鏡拡大50倍くらいでウロコをみるとサケの年齢と餌の量、つまり生活がわかる。去年の五年魚はプランクトン不足で絶食状態の年があったのではないか」という。
 オホーツク、ベーリング海といえども、ふ化放流の激増によって、海洋のキャパシティーの限界につき当たったらしいというのだ。例えばシロザケの餌はプランクトンやクラゲ(サケの仲間ではシロザケのみ)、大きくなってはオオナゴ、コナゴ、イワシ、サンマだ。海の有限性をサケのうろこの年輪から読み取ったのである。
 撮影には協力的だが、よく映画にあるような自然産卵のシーンは「カナダの北」くらいでしか撮れないといわれる。道東の河川に溯るサケのほとんどはふ化事業所の仕掛けで採られ、採卵され、受精されるので、川での自然のままの交尾行動は氏自身、めったに観察できない。近く小川に残された産卵場はあるが、撮影には一週間は粘らないと駄目だろうという。この手の科学的撮影に弱い私は“モウヤメタ”という気にすらなる。一方、アイヌの川とサケの生活が完膚なきまでに封殺されていることを知らされた。
 道直営のサケ・マスふ化場・根室支場で聞いた数字によれば、サケ・マスはその九五%が定置網に採られ、残りの五%が川を溯上する。その川に上ったサケの九〇%が人工ふ化の水路に誘導され、一〇%以下しか天然の川に溯上しないし、溯上する場がない(技術専門官・稲垣和典氏)。これは漁民への経済効果を考慮した「北海道海面漁業法」の施策の結果、そうなったという。
 明治時代、河口の定置網により、川上のアイヌの集落に遡上するサケが完全にすがたを消したという北海道拓殖時代のアイヌの受難は遠い遠い過去の話ではないのだ。

 羅臼は時化で漁は休んでいた。ここの若者の定着率は良い。自家用車の人口比は抜群に高いし生活は派手。地元同士の結婚の盛んなところで、やや早婚の風があると聞く。スケトウ不漁に替わるコンブやサケがあるものの、三年連続の痛手は癒えそうにない。今年ももう勝負は見えていた。
 ふたたび漁協の高岡唯一氏をたずねると、スケトウの産卵の地という事を忘れていたのではないかという反省が述べられた。
「ここは産卵場所だから底引きトロールは禁止の海だが刺し網で獲り過ぎた。外国では魚卵はあまり食べないが、日本人はタラコ、スジコに目がないでしょう。放卵、ふ化の時期に、それをアテにして取っている。だから産卵、繁殖の機会を奪っているようなものだ。遅きに失したが、操業形態の再検討と漁民の意識をどう変えるか漁協でも会議をひらくことにしている」。
 陸の孤島であった羅臼の昔は前にふれた。高岡氏のすすめで羅臼町教育委員会・文化財保護係長の涌坂周一氏に会い、さらに古代のオホーツク文化について、出土品を見せて貰いながら興味あるオホーツク人の文化史を聞いた。七~八世紀に樺太から渡来した人種で、サハリンやオホーツクの他部族に圧迫され、玉突き式に押されて南下して羅臼の海べりに定着した。“アジアのバイキング”といわれるこの海洋民族の遺跡、時代的にはアイヌ以前のオホーツク人文化がここにあったという。涌坂氏の考古学上の詳説は繰り返せないが、彼等は流氷に乗って南下したという推論には頷かされた。アイヌはアワ、ヒエを作って食べていたが、オホーツク人は魚だけを食べていたという。国後アイヌ、メナシアイヌと並んで、オホーツクの海を流浪したバイキング風の民族の生活を発掘する仕事にこの人は魅了されていた。

 知床半島の根元の山あいを越え、斜里町にはいると。国道ぞいにタラの寒干しがブドウ棚のようにつづく。流氷はこの町の沖合に来ていた。知床の山々に遮られ国後島ははるかかなたに遠ざかる。この半島で海の模様は替わる。出ている漁船は見当たらない。
 釧路でスケトウの減少についての行政の把握している情報をきくため、道・釧路支庁経済部水産課に行く。漁政課長西村陽一氏、漁業管理係長中村慎一氏ほか専門の諸氏が応対に出られる。ここの管轄は斜里、網走、紋別が主、オホーツク海での沖合漁業が中心だったといわれるが、現在は地まきホタテ、サケ・マスの定置網、スケトウに毛ガニである。結氷期はすべて休むという。スケトウについてとくの参考になるデータはなかった。
 ホタテにせよ海の自然力を使い、餌の必要もなく、したがって投資は少なくて済んでいる。かつ資源管理のサイクルがはっきりしている。例えばホタテ貝は四年周期、毛ガニは千五百トンに決まっている。だ捕などはここではよそごとのようだ。
 さらに道立網走水産試験場に行く。場内各所に、採ってもいい毛ガニのサイズ(甲長八センチ以上)のポスターや密漁防止の標語がある。
 漁業資源部長渡辺智視氏や増殖部大槻知寛氏らによれば、スケトウの生活はほぼ分かっているとして、国後水道の水深二百メートルの深みで産卵している。水温二度から五度、流氷したの水温が産卵に適している。産卵直前から産卵期のスケトウは他の季節に比べ高いのであきらかに乱獲している。それにしても激減の理由はわからないという。
 「オホーツク海の情報は全然つかめないんです。ロシアとの共同研究はなされていないし、ここからではスケトウ資源の変化は解明しがたいです」。これが結論のようだ。
なぜ一魚種のスケトウにこだわるかお分かりだろうか。サケ・マスはベーリング海にまで回遊し、成長するが、スケトウはオホーツク海で育つ。ロシア・極東の魚種別の漁獲量をみると。サケ・マスがわずか一・五%なのにタラ類が七三%をしめている。そのタラ類の九五%、三三〇万トン がスケトウだとされる(一九八八年度統計・財団法人海外漁業協力財団「ロシア共和国(極東地域)水産事情等に関する調査報告書」より)。その突出ぶりはまさにオホーツクは“スケトウの海”といってもよい。無尽蔵に思えるほどだ。その産卵の地、羅臼沖、国後水道にスケトウが一一万トン余から三万トン余に激減したということは、オホーツクの海の生産力は著しく弱まったことを意味しはしないか。あるいは目の届かないところで大乱獲が行われているのか、いずれにせよ素人の目のもオホーツクの“異変”の一指標に思えてならないのだ。

 この流氷の流れるオホーツクでサロマ湖のカキ養殖や、紋別のホタテ加工工場や、北大流氷研究所などを見学し自分のあまりの無知を思い知らされた。
 紋別の港では船を陸にあげ、休止している港の脇に、蒸気が息をふくように立ち上ぼる加工場があった。主婦たちが昼休みを終えて働きはじめる。
 飛び込み同様にして見せてもらったマルハ大洋の子会社シーフード工場では、近代化されたラインでホタテの水煮やサンマの照り焼きの缶詰をつくていた。
 すべてオートメ化されているが、ホタテを詰める手作業は女性の仕事である。機械でつめたら肉身をほぐしてしまうからだ。八〇人がそのラインに集中している。サンマの公定は切り身から焼き上げからタレつけ、缶詰までほぼ計器の監視労働だ。
 ここで冷凍魚の貯蔵と移送、加工までの、いあわゆるコールドチェーンなるものを知った。大きな冷凍倉庫は富良野にあり、そこから釧路、標津、十勝、ホロベツ、そしてここ紋別などの各水産加工場にトヨタのカンバン方式のよう原料魚のサンマが送られてくる。定時の勤務で、一年中休みなく稼働できている。原貝のホタテは道南の長万部から噴火湾産のものが適温にされた冷蔵トラックで補給される。流氷のため海路は使われていない。
 珍しくもなんともないことだが、私には啓示のようだった。それが陸送できる道路の完備や冷凍車、そして通信網、コンピューター管理などとセットがあってこそ可能になった事に気付く。しかし、真冬も働けるとは。
 北方四島の水産振興のための社会基盤の整備というようなややこしい問題も、これと対照してみれば、いかに大変なことであり、総合的な技術がなければ成りたたないかも分かる気がした。
 工場の古川主任はサンマの加工工程はロシアにもいいものがあるという。
 ここの工場長は十年ほど前からソ連に技術指導に行っているという。日ロ技術交流はこんな現場のひとびとに実行されていたのだ。
 「ソ連・極東のコルホーズの主な魚種はズワイガニ、タラバガニ、ツブ、毛ガニなどです。あちらの製造の欠点は洋上の大型加工船(カニ工船)に冷凍の設備がないことです。船体も古く、発電力が足りないので、カニの加工に必要な真水をつくる装置がないのです。これでは水を使っての急冷はできないません。ファンで風を送って冷ましてる」とズバリ指摘した。愛嬌も社交的な雰囲気もない、いかにも海の一代男の匂いのする人物である
 「ソ連・ロシアの良い点は資源の取り尽くしはしないことです。クォーターで何々五万箱のノルマがあれば、それだけやれば操業はピシャっとうち切る。日本のように「もっと」採るということはないから安心してます」と彼の経験からそう断言した。

 サロマ湖では流氷博士といわれる北大の青田昌秋教授が実験準備に忙しいなかで会ってくれた。今年は人工衛星とつかっての流氷研究をサロマ湖でおこなう。そのためカナダの学者との共同研究になる。いずれアムール川河口にいくことになろうという。
 教授からいろいろ教示してもらった。先に読んだ国立極地研究所の研究成果は氏の現場で生かされているようだ。「魚は流氷が運んでくる」という経験則を科学的に解明していた。
 「いや、アムールの流氷が栄養物を持ってくるという話ではない。そこからの淡水(川水)の供給が多いということです。川には燐とかカリとか含まれているが、全部流れこんで海を作っている訳ですから。一番大事なことは、オホーツクを上下の二重構造にしているという事です。同じ北の緯度なのに、日本海側もアリューシャン側も凍らない。ところがここオホーツク海は凍って、表面に薄い塩分の氷の層をつくる。その淡水をはきだしているのがアムール川の大きな役割です。ここサロマに流れる川も燐とかカリとかあります」
 氏は四、五〇センチの氷の厚みが藻の付着と発生に一番適している。そのうらに届く太陽の光線が光合成をうながし、漂う数か月の間に氷のしたにアイスアルジー(苔)を作るのだという。北の海というだけならどこにもあるが、オホーツクは独特の生態系をもっているといわれる。
 とても限られた紙数で教授の意見をまとめる力はない。だた感銘したのは、オホーツクでは、海面と深層との温度さで、下から湧き昇る対流活動が活発であること、それが深層の栄養塩や植物性プランクトンをまきあげ、稚魚の栄養になる。
 「反対の例としては熱帯の海です。熱帯地方の海は表面がもの凄く暖かい。そして下に冷たい水の層が沈んでいます。太陽熱で表面は夏冬いつも暖かい。ということは対流しないということです。だから、熱帯地方の海の表面は、澄んではいますが栄養失調状態です。 その反論もあるがね」。
 「南極にオキアミが多いのも?」と聞くと、「同じです。世界の好漁場はみな氷のそばにある。例えば、密漁なで獲り過ぎて問題になるベーリング海も、北大西洋、カナダの北も“タラ戦争”をやっているように、氷で三大漁場が決まってしまう。とにかく魚が捕れる事は証明されている。オホーツクは日本の東北、日本海の漁場の源流です。疑問点はありますが、研究中です」。

 どこに腰を据えて撮ってもドラマがあり、番組は出来る。かりに自然科学映画なら基軸はすでに見えている。そこに四季を通じてのロケ体制を組めばいい。
 この映画は海と人との苦い思いから、オホーツクを介して明るい地平をみたいのだ。「まず海を見よ」という入り口のむこうには、根室の漁民、元島民の顔があり、同時に未知の沿岸のロシア人、先住民がいる。ロシア・極東、そして北方四島を見ないでは映画の構想は空白と欠落を免れることはできそうにない。調査目的の最後の課題は日本国内ではリサーチできない。単純にいえば、アムール川河口やサハリンや四島にカメラの三脚が立てられるかどうかである。そしてその条件があるかどうか。その見通しなくしては、この調査は終らないだろう。旅の終りに近づくにつれ、それはますます思い強まった。