映画で取材したいもの。 ノート <1999年(平11)>
 映画で取材したいもの。
 もやいなおし館。オレンジ館-加賀田清子、長井勇たち。カシオペア
 乙女塚。砂田明『立ちなはれ』。
 ほたるの家。水俣福祉作業所(永野ユミ)
 石彫り場-本願の会。御夜の会。緒方正人の生活。杉本栄子の朝から夜まで
 水俣市の様かわり。親水公園。埋め立て地。竹林公園。
 ゴミの分別収集。チッソのゴミ。
 吉本哲郎-川と森の再発見。ごんずいの学校-川と森の水俣探訪。ラストに水俣病。
 行政の祭典-火祭り。慰霊式。メモリアルオブジェ。
 語り継ぎ-水俣病資料館の語り部。水俣病研究センター社研。明水園の存在自体の意味 安川夫妻とカシオペア。産業・甘夏ー反農連。ガイア。市民のなかへゆく水俣病センター相思社(雑誌ごんずいの記者活動)。ハゼの木館。はぐれ雲工房。愛林館。お茶吉野さん。中村雄幸さんの魚屋。
 胎児性患者たち-ワークショップ。半永一光。坂本しのぶ。金子雄二。鬼塚勇治。
 佐々木清登。川本輝夫。浜元二徳。(田上義春)。石田勝。三笠屋主人

水俣の現状分析
1、昨年の三党合意による「全面的最終解決」以後(これを水俣病事件の第3期とみる)患者による紛争解決の諸運動はなくなった。あと患者団体は親睦組織に改編され、語り継ぎを共通の指標にしつつも、その動きは行政主導の「語り部」の編成によって10人足らずに集約されている。かつてのように語り手を発掘することは極めて限られたものとなろう。
そのことは死者の名簿のメモリアルへの自発的提出がいまだに 100名であることによっても裏付けられる。名簿に予定されている患者は認定患者の死者とされていることから、今回の一万人近い新救済者はこの名簿から外されていることもあり、土本、青木の遺影収集 500名を超えることは当分の間ないであろう。
 患者による患者かくしの風潮は第3期になったこによりさらに強くなったと思われる。これは記録映画にとって障害になる風潮である。一方患者にとって支援者の助けを借りる必要がなくなったことにも照合する
 患者はチッソの存続の如何が絶えず不安材料である。現在の救済の構図のなかで最も弱いのはチッソであり国・県ではない。県債問題がいつの日かチッソの廃業、あるいは改変によってさらに難しい局面を生み、PPP原則の見直しが始まり、いわば国県を停止し、チッソ倒産を意図的に計ることなきにしもあらずである。
 最もそれに敏感な層は胎児性患者である。大人の患者の平均寿命は70ちかく余命は10数年とみてよい。彼等は自分の一代はいまの救済システムの“恩恵”を受けられると信じている。しかし胎児性患者はあと30,40年の余命である。そのうちに親を失い家庭的には孤立しかねない。つながりのあるのは昵懇な支援者だけとなろう。その時闘う力量のある患者組織はないからである。