ロバート・フラハティー・セミナーについて ノート <2003年(平15)>
 ロバート・フラハティー・セミナーについて
 
 第49回・2003年セミナーのテーマ『世界を目撃する』
 
 土本典昭 2003,7,23
 
 今年、私たち夫妻はロバート・フラハティー・セミナーに特別ゲストとして招かれ、五作品(出品はの英語版のみ)をもって参加した。上映順に挙げれば『水俣-患者さんとその世界(二時間版)』、『不知火海』、『ある機関助士』、『ドキュメント 路上』、そして『よみがえれカレーズ』であった。製作順ではなく、その回のテーマごとに三日に亘って上映された。
 そのユニークな上映方式とセミナーの全体像について、NYの日本語ミニコミ『云々』より転載する。(執筆者の東谷麗奈氏は今年山形国際ドキュメンタリー映画祭に第一作を出品される)
 「…NY州の田舎に一週間こもって討論を繰り広げる“噂のドキュメンタリー映画の研究会。このセミナーは1920年代、イヌイットの生活を追ったロバート・フラハティーの未亡人の呼び掛けで1955年に始まった。世界各国から、映画・ビデオ作家、批評家、大学教授、映画上映組織のキューレーター、学生などドキュメンタリーや実験映画を愛する約 150人の参加者が一堂に集う。上映プログラムが事前に一切公表されないというユニークな方針のおかげで、選り好みできず、嫌が応でも劇場に足を運ぶことになる。その結果、長編・短編合わせて、一日 8-10本の映画を観て、真夜中まで議論するという、高校の夏合宿のような高揚した気分とエネルギーに包まれた不眠不休のセミナーであった」(東谷麗奈)

 2002年 9月、今期セミナーの責任者でありキューレターでもあった映画作家ジョン・ジェンヴィトー氏よりの手紙。これにはセミナーの特色と小史が簡潔に記述されているので紹介したい(これはNEOの執筆者、NY在住の水野祥子氏の訳による。同氏には全期間エスコートしていただいた)。

 「(前略)1955年夏、フランシス・フラハティー(ドキュメンタリー映画の先駆者であるロバート・フラハティーの妻)によって始められたこのセミナーは映画祭でも学会でもありません。年齢、経歴、人種、個性、文化、国籍もさまざまなひとびとが一週間集い、映画を観て討論し、広範囲にわたって創造的なプロセスと映画芸術と技巧が、いかに人間の精神を解明、変容する可能性を秘めているかを探求することを目的にしています。
 その発端から今日まで、このセミナーは「略式ながら情熱的であり、寛大ながらも自省的であり、非学術的ながら徹底的であり、批判的でありながら建設的でもあり、また厳密であると同時に同時に重苦しくないように構成されてきました。
 これらの高邁な大望へ、年々どうにか近付くことができた一因には、注意散漫に陥らせる日常生活と、常にプレッシャーを与える現代生活の舞台である大都会という環境から離れた所にセミナー会場を設定し、ゲストと参加者が共に生活し、食事をとり、語りあい、集団として、情熱、苦痛、不満、力を与えてくれる映画からの情報を分かちあう形式を取ってきたことにあります。率直に申しまして、私はこれまで他にフラハティー・セミナーほど数多く豊かな波紋を投げ掛けてきた「映画の集い」を経験したことはありません。
 過去にはサタジット・レイ、アニエス・ヴァルダ、ヨリス・イブェンス、ピーター・ワトキンス、マルセル・オフュールス、デュサン・マカイェビッチ、ローデス・ポティオ、ルイ・マル、マーロン・リッグス他、多くの特別ゲストが参加されています。
 次回2003年のテーマは「世界を目撃する」として、かつて「献身の映画(シネマ・アンガージュ)」といわれた概念…“社会的責任”を自覚した作家たちが、映画という媒体が顕にする長所と脆さと格闘してきた概念…を再訪いたします。
 あなた(土本)の映画作りにおけるこれまでの作品評は、『水俣シリーズ』から『海盗り』などの作品まで、道義に基づいた不動の信念と献身、不正義と不平等に対しての鋭敏さ、そしてさまざまな問題のなかから人間性を描き出すための方式、形式を追及し続ける姿勢を例示しています。特に今、私たちの多くの問題を投げ掛け、暗い影を落としている政治情勢のもと、私はあなたの作品と生(ナマ)の言葉が参加者に刺激と示唆と与えてくれることを確信しています(後略)」

 土本付記:このセミナーにはすでに原一男氏、大西健児氏が招待されている。今年は四ノ宮浩氏が予定されていたが、同氏はイラクでの撮影のため、欠席された。同氏の『神の子たち』はセミナー冒頭に予定されていたものである。
 以上