わたしは『思想運動』を推薦します ノート
メディアの新聞を30年切抜きしてきた私は原発事故についての政府や外郭団体系の科学者や“権威”なるものの発言、例えば事故の記事を報ずる一方、「しかし無害の範囲内」とする専門家の安全保証に慣らされてきた。この一言が私たちを油断させる。
映画『原発切抜帖』や『海盗り-下北半島浜関根』いらい、日刊紙だけでなく、『反げんぱつ新聞』や『思想運動』を併読して、出来るだけ切抜きしてきた。それらを読み返すと、“メディアの中立性”からか、政府・電力会社を批判するよう見えても、被害者側に立って行動の指針を示す文章はまず見ない。現代ジャーナリズムのいう“専門家”とは被害を過少評価する専門家なのか。
同じ事故でも“民衆の側の視点”は専ら二誌などから教えられてきた。例えば『思想運動』の四月一日号のの望月彰氏(東海村臨界事故を忘れない9,30の会)の文章『隠蔽された臨界事故は、日本版チェルノブイリ事故を暗示している』もそうだった。「東海村臨界事故はわずか1ミリグラムのウランが反応して二人が亡くなり、七百人弱が被爆した」、溯って、「一キログラムのウランによる広島。チェルノブイリ大事故では半トンの死の灰が世界中に撒きちらされた」として、人類史的な課題としてとらえられている。これはメディアが一連の事故を「現場の規則違反」「生産第一主義によるミス」とする矮小な結論とは何という違いであろうか。これらが『思想運動』を推薦する理由である。