作者の言葉 ノート <2007年(平19)>
 作者の言葉 ノート

 今回、回顧上映される二作品についてのエピソードを求められた。
 『ある機関助士』(1963年、カラーmm,37分)は私のフィルモグラフィーの“第一作”とされている。
 この国鉄の安全PR映画は1962年に起きた常磐線三河島駅での大事故、その“自己批判”として企画された。当時、事故直後から事故の責任は「機関士、機関助士の不注意」と目されていた。この企画では新しい事故防止装置の普及が題目とされていた。が、過密な運行ダイヤこそ事故の真因と見ていた私は、あえて事故の路線を選んで、その安全運行の責任の担い手、機関士・機関助士らの実際の労働描写に力点を置いた。当時17社の入札で、このような曰くつきの路線の乗務員を主役にした話が、入札に入るとは予想もしなかった。 
 私は演出者として、加害者側になった国鉄労組に足を運び、彼等の労働を分析的に描く話に理解と協力を得た。このシナリオが作品化し得たのは、労使双方が「滅びゆく機関車時代」に愛着を持っていたからであろう。企業が莫大な経費を使って、その乗務員の労働映画をつくった。それ自体、異例の映画となっていると言われた。PR映画しか途がないといわれた時代の作品である。

 『海とお月さまたち』(1981年作品、35mm、カラー、50分)。これは児童むけに作られたドキュメンタリーである。作りながら分ったのは、子供らが映像の把握力がすばやく、飛躍したカットも理解する感性が備わっていること。その点、無声映画的な編集、映画詩的なシーンの方が無心な子供たちの頷きや感嘆に応えられるものだと学んだ。これはそうした映像本位の作品である。…耽美的なカメラマン瀬川順一、即物的描写力に長けた一之瀬正史の映像が35ミリのフィルムに生かされた作品として残された。
 この映画の舞台は水俣と同じ内海・不知火海である。外洋から産卵にくる魚たちや、浅瀬に住むさまざまな生きもの…タコ、イカ、フグ、タイなどとの智慧くらべが漁師の生き甲斐であり、快楽なのだ。生き物との対話は指先と釣糸に凝縮されている。満月、半月、三日月と日々変わるお月さまたち、漁民の世界では、月がもう一つの“太陽”であることを描いている。(このフィルムは水俣の患者=漁師さんに「水俣病事件の前の水俣の海が描かれているから」と最も好まれている)。

 07,8,15