“水俣だから”出来ること ノート <2007年(平19)>
 “水俣だから”出来ること ノート

 三十年前、二十歳になったばかりの胎児性水俣病の諸君が、同じ歳の石川さゆりショウを企画した時、万事が手さぐりだった。漁村育ちのみんなは町中でやれる実感は全然持てなかった。それが文化会館始まって以来の観客を動員した。主催者としての挨拶なかば壇上で号泣した患児たち。それは誰も予期しないかった。僕は「水俣だからだ!」と思った。これが市民らと水俣病患者や胎児性の諸君との初めての出会いであった。あれから30年…。
 最近、産廃ゴミ処分場反対運動の市民の動きが僕のこの時の記憶を呼び覚ました。市長選挙で、「水俣病事件を忘れるな」と声を上げた宮本市長候補が、推進派に大差をつけて当選した。やはり「水俣だから出来たのだ」と思った。さらにこの状況は、今進んでいる新『ほっとはうす』の運動のバネともなるのではないか。特にふつうの身障者との本格的な共同の暮らしも労働の試みも新しい。さらに胎児性の諸君が永い間に蓄積した暮し方の夢も実現されるだろう。皆さんのご支援を心よりお願いする次第である。

(記録映画作家)