佐藤真-ある典型の軌跡を見せたひと ノート <2007年(平19)>
 佐藤真-ある典型の軌跡を見せたひと ノート

 話は四半世紀ほど前である。私が水俣病映画の連作のため、水俣に腰を据えて居た頃、香取直孝監督のドキュメンタリー映画『無辜なる海』(完成83年)のスタッフも同じ不知火海沿岸で長期ロケをしていた。佐藤真はその制作進行だったらしい。その作品の数年後、彼は新潟水俣病の映画を撮り始めた。詳しいことは知らないが、ただ小川プロ方式に学んで、長期ロケの合宿をして処女作に没頭しているという。
 映画の経験は『無辜なる海』だけのように聞いていたが、その第一作『阿賀に生きる』(1992)をみて驚いた。面白かったし、映画の魅力も十分だった。彼の東大の恩師でもある蓮見重彦氏が、彼を“小川紳介の後継者では?”と評したのも合点できた。実作者の私が舌を巻いたのは新人離れした技術についてである。噂でははじめての仕上げなので苦闘していたという。とんでもない、いかにも自由に編集していた。「この人はどこで、いつ、映画技術を学んだのか?」と思った。長期合宿で培ったスタッフワークあっての事だろうと解釈していたが、やや謎めいていたのは否めない
 それが解けたのは彼の死後である。この作品に先立ち二年間、彼はPR映画専門の小プロに籍を置いていた。たまたまそこは私の岩波映画時代の同僚の作ったプロである。40年ぶりで再会したそこの社長、各務洋一氏は「彼はいかにも“東大出”だったよ」と笑んだ。そういえばユーモアあるあの編集は、それの得意な各務氏に学んだようだ。彼はそこでCMやPR映画を次々に“こなしながら、“監督技術習得”を最短距離で学んだであろう。そこに彼のしたたかな軌跡の一面を見る。それにしても日本のドキュメンタリー界はかえすがえすも惜しい人を失ったものだ。

 (07,12,15)