1952年5月 早稲田大学新聞掲載
更に全学的抗議運動をー背信的妥協に憤慨する
〇は判読不能な文字
早大五・八事件を手打ち式をもって、結着せしめようとして恥ずべき政治的協調の典型として、誰の手によってもこれほどの譲歩を得ぬほどの徹底的な屈辱を示した。
学校当局の当初の抗議の態勢をみて、〇続してその後の事態をみまもっていた大多数の学生もこれで本部の建物の窓から大学に残っているわずかな良心の〇が消えていくのを感じられたであろう。
このような屈服は予想すらも出来ないものであった。13日、発表された島田総長の署名による抗議文は、その後〇に於いて、学生の行動の行き過ぎを〇った一段をのぞいて全学中央抗議委員会はその声明に指示を表明してきた。しかし、この覚書はわれわれ学生として断じて承服できないものである。
この事件の特長は、東大事件、教育大事件とことなり、大学全体に加えられたファッショ的暴力であり、この背景には日本の独立と称する新しい占領の段階において、破防法を準備しようと苦慮している政府が、メーデー事件の挑発を材料に全部の進歩的勢力を一斉に検挙隔離しようとする露骨な意図が学園にひしひしと加えられている時期と、そのスパイ活動の強行を暴力によって誇示した警官隊の血のデモストレーションであったと理解される。
大学の生命の中核的部分は、その学問の自由と独立という厳然たる良心の確保によって守られる。その故こそ、五、八当夜、夜を徹することも警官隊の実力行使とも屈せず、確信をもって正しい行為を自ら行い得た勇気を、当夜の参加者は全員持ちえたのである。
その苛しゃくない暴力も、大学全体の自治を守る行為を確信したが故に自らのむくいとして〇然80余名の9日全学大会において、抗議の意志を全社会に対して公明したのである。
しかしながら、この覚書はこの学生の善意と良心をまったくふみにじり、大学自治権、この学生のもっとも貴重とするものを警官との妥協の席において放棄しこれをかえりみず、完全なうらぎりをもって報いたのである。
1950年10月占領政策に公然反対を表明して、イールズ声明にもとずく、レッドパージ粉砕のために全国学生の〇〇の先頭に立って闘った早稲田大学の学生にたいし、自治会の閉鎖とさらに八名の処分をもって応いた島田総長に対するぬきがたい不信の念は、今回の事件を期に真に総長の勇気と良心とを貴重に幾分でも拭い去ることができたはずである。しかるに一片の抗議のみで、自重論を公示し、学生の中央抗議委員会を把握し、終始学生の活動を抑止しつづけてきた。
集会、啓示、発言の自由すらこの抗議のために明らかにしてもなお黙認といった形でしか許さず、あらゆる集会は学部長の放言によって正確な討論が疎外されることしばしばであった。
例えば理工大学部学生大会ににおいて、「殴られたことは悪いとおもってあきらめよ」のべた理学部部長、或いは開会冒頭より「不法拘禁」論を刑法上潤々と論じた第二法学部長の発言など、学校内部における悪質なうらぎり的な諸氏をはじめ学生の刑法上の告訴まで事実上妨害したり、早大事件のニュース映画まで上映禁止した事は学生にとって学校の〇〇ー理解ーーーーーーーーを与えたものであった。だが抗議の有効なものの〇〇を信じ今日までわれわれは総長の意にしたがってきた。
この覚書が第一に示したものは、大学自治に関して全国自治にかんして、全国学生が決然の守り続けてきた、最低限の「文部次官通達に関する大学側の解釈」をまっさきに放棄し、あの流血に多くの眼と抗議の手があげられている陰で警察と握手し、結果として学内に制私服をとわず、私服警官を導入する便宜を表明したものである。
学生の血はまったく無駄に学校の庭に流れたのみ、早大の歴史はただ単に警官の侵入の許された日としてとどめるであろう。現在の一歩の退歩は完全なる敗北であり、決定的瞬間における妥協は死を意味する。それは早稲田70年の伝統の放棄を意味する。
この数週間は全早稲田人にとって人にとって学問の自由を真に死守するか放棄するかの重大な局面であった。だから学生は自重に自重をかさねてきた。
青年学生の兵役の問題は再軍備と共に、公然と論じられ治安維持法の再現による思想弾圧は国会を通過しようとしている、再びいう大学の自治は大学の死活問題である。治安維持法と学校〇〇〇〇とその後における特高警察による学問の自由弾圧は京大の滝川事件を想起するまでもなく、早稲田の軍研反対事件、大山郁夫事件、津田左右吉事件の歴史は、その後につづく日本戦没学生の手記の悲劇が明らかにしている。
しかし、その時のおいて、断じて忘れてならないことは特高警察とともに大学理事会、学生課がつねに私服と一体になって学生、教授をスパイし逮捕し、学生を処分することによって日本軍国主義を支援したのである。
歴史の事実は抹殺することが出来ないし、この「手打ち式」の愚は笑い話としてすまされないものを厳に学ばせるのである。
学生諸君、反官僚を標榜した早稲田が、一警察官僚、一文部官僚の通達に総長がうごめいている姿こそまさに早稲田転落の姿であり、今や早稲田70年の歴史はただ教授学生の団結と戦いによってしか守られないことを示している。
総長はこの経緯と予想される事態の重大性に鑑み、〇〇をもって自ら全学生の前に釈明し、総長自身の責任をとることを要求する。
国文四年、抗議大会議長