あなたは、アフガニスタンの国土と民衆を知っていますか 『百万人署名運動全国通信』 48号11月1日号 とめよう戦争への道! 百万人署名運動
「テロ」とは何か
9月11日の世界貿易センタービルとペンタゴンへの攻撃で、無辜(むこ)の市民が「テロ」で命をなくされたことは非常に残念です。しかし、あのビルやペンタゴンはアメリカ帝国主義の世界支配のシンボルであり、世界中に戦争の種をまきららし、兵器を押しつけ、あるいは経済的に収奪している牙城です。もちろんそこには一般の労働者もいたでしょうが、多くの人たちは世界政治や世界経済を動かしていると自覚しているエリート中のエリートでしたでしょう。
イスラムの人たちはアメリカのグローバリズム、アメリカ帝国主義に対して、「アメリカ人に死を」というスローガン(僕はこれには首をひねりますが)を出しているほどですから、人間一人ひとりの実在をこえて憎しみを集中させている。
今度の攻撃を「テロ」だというけれども、テロと戦争はどうちがうのか。広島・長崎への原爆投下、ジェノサイドの原爆は、テロの極致で、あれ以上のテロはない。さらにアメリカは朝鮮戦争以来、宣戦布告なき戦争をつづけています。国連を工作して、国家間対立の形にして、国際政治の中であたかも合意を得たようにして「国連軍」「多国籍軍」などをつくり、戦争をしかけてきましたが、それは「国家テロ」ではないのか。アフガンの内戦への介入の場合も宣戦布告なき戦争でした。国連を生んだときの力関係によって世界情勢は左石されてきたといえます。
殺しているのはアメリカの兵器だ
歴史的に見たら、米ソの強大国による報復につぐ報復で戦争は醸成されてきました。ヨルダンの女性たチのデモのプラカードに「われわれを殺しているのはアメリカの兵器だ」というのがあったそうです。僕の『映画』の中でも対人殺傷用に開発されたロケットが出てきますが、あれは86年から反政府ゲリラに供与されたもので、ベトナム戦争時代の爆弾と比べて、殺傷力は10倍だそうです。10数キロの所からのロケットが着弾しても地面にもぐり込まずに即座に起爆して360度水平に人を殺傷していくものです。映像は盛り場のもので、一発で35人死んで120人が重傷を負った。そのとき群衆は「アメリカ!」と叫びました。パレスチナのインティファーダで、石を投げる子どもに最新装備の戦車が報復攻撃する。アメリカは兵器を輸出して引き起こす結果にまったく頬っかむりして、人を殺すテクニックをどんどん高めて思うままに使い、世界一の強者となる。こうした覇権主義的軍事行動と比べれば、こんど起きた「テロ」はわかる、良い悪いではなくて「わかる」ということです。イスラムの12億の人々、中南米やアラブの人々と、拍手喝采する人は世界で何十億もいると思います。
「自爆テロ」という形ですが、アメリカの暴虐にさらされ、抑圧にたえて、なお自分の国の石油成金や政府などと闘って、戒律厳しく生きて自爆していくというその人たちの行動性についての深い考察が必要だと思います。肖像としてのビンラディンはエキセントリックな面だけではなく、かなり冷静な覚悟と時代に対する構えがあるように見え、ファナティックな人格とは思えない。肖像を嫌うイスラム教徒が、ポスターやTシャツにしたりしている。そのことを決して軽視できない。
大国の横暴
シアトルのWTOの会議に対するグローバリズム反対の行動で、投石や激突を含む闘争表現が出てきている。ジェノバでもそうでした。それは根本的には体制側の暴力に排除されれたら言わなくなるのか、権力の壁に対してはそこまでよと自己規制して行くのか、それともどこまでも意志を表現していくのかということだと思います。つまりNGOの怒れる人々の行動と9.11は重なる。地雷会議などは世界的な合意にもかかわらず承認していない。インド、パキスタンには制裁を加える。アメリカの利益、大国の国益が常に優先される。実に不条理です。職を失い貧乏のどん底にあって、社会保障も得られない資本主義国の人々や植民地支配に苦しめられている人々、世界中の虐げられた人々について本当に深いところから考えないといけない。
中東・アフガンの問題にしても誰が国境を決め、誰が石油の利権をベースにして独占支配を巧妙につくりつづけているのかを歴史的にさかのぼって考えないといけない。僕は『映画』でも触れましたが、帝政ロシアとイギリスの間で政策的に敷かれた国境線でパシュトウン民族はパキスタンとアフガンに分割されてしまった。イスラムとしてはおなじスンニ派です。そのように人為的国境線や東西冷戦下で分かたれたり、あるいは難民問題の主導権争いなどもからんで民族間矛盾を爆発させて殺し合いをやっています。カブールがあれだけ破壊されたのはナジブラの時代じゃないんです。92年後半から90年代末まで、北部同盟とタリバーン(両方とも原理主義ですが)の間の果たし合いがカブールを廃虚化させてしまった。
タリバーンは悪か
いまジャーナリズムは、タリバーン=悪の一辺倒です。タリバーンを歴史的に見ると、彼らは反政府諸派の腐敗と残虐行為とエゴイズムのかたまりのような闘い方を批判して学生層から生まれてきました。しかし、全国制覇してから変質したと思います。戦争ではなく政治を行うこと、憲法をつくることを求められたのにコーランをすべての規範にしてしまった。いまやタリバンが女性たちを苦しめているというのは事実だと思います。
1980年で女性の「文盲」率は98%、識字運動は当時の政権の大きな柱でした。女性たちの力は必ず女性解放に向かうと思います。
アフガンがイギリスから独立したのは1919年の第三次アフガン・英国戦争によってです。ロシア革命の影響も受けて、インドを含めたイギリスのアジア支配に対するたたかいの一環でかちとられました。レーニンが独立国としてのアフガニスタンを真っ先に認め、善隣関係を構築したことを忘れてはなりますまい。
『映画』は1989年のナジブラ政権の「国民和解」の合意がなされたとき撮りました。彼らが到達した「国民和解」とは4つの民族があるという現実を直視してそれにみあった議会をつくり、政権をつくり、地域ごとに自治を認めていく、イスラム教を国教とするという方法です。しかし内戦はおさまらず、アメリカはタリバーンへ兵器供与をつづけ、パキスタンの軍部は彼らを指導しつづけ、ソビエトもたくさんの兵器や地雷をアフガンに残した。こうした中で今度の事件とその後の情勢も展開しているのです。
小泉首相は参戦をやめよ
僕は小泉首相と戦前の青年将校の精神構造は同じじゃないかと思います。北一輝が組繊した青年将校たらは日本の矛盾にはものを言ったが、根本的なところでアジアに対する支配、侵略思想を強めていきました。小泉首相は一見明快なことを言いますが、根本的には戦前の右翼的「国際感覚」をもったナショナリストだと思います。ですから、自衛隊を海外に出すということがまずありきという政策、「テロ対策法」=参戦法は本当に危険です。憲法違反は明らかです。
ブッシュはこの戦争は長い戦争になると言っていますが、このままでいったら半永久的、凍結する以外にない。それぞれの国にふさわしいライフスタイルを尊重しあっていくこと。それぞれの地域性や民族性にふまえた文化のあり方があるはずだ。僕は「日本よもっと貧しく小さくなれ」と言いたい。国益に走らず、第三世界の貧困を見つめて、われわれの生活をどっかで割いてもその人だちとともに生きるという精神をもたないとだめだと思う。日本の侵略戦争の責任をどうとるかという問題はそういう生き方をすることでもあると思います。
みんなが幸せになるというのはどこかウソがある。自分の幸せを分かちあわないとダメだ。イスラムの「菩捨」の文化を学ぶべきだ。われわれの富を、アメリカの富を世界に公平に分配していくかたちにすること。マルクス主義のアソシエーションの思想は、共同体の中で助け合っていくということではないか。社会主義が訴えつづけてきた社会のあり方は、自由主義の弱肉強食の自分だけはいいというあり方に対するものだと思う。
アフガニスタンを知ることから
私たちはアフガニスタンを知らない。いまはアフガンの戦争の情報しかない。カレーズは紀元前にできたものです。大地がどういう自然性を持っているか、イスラムの教えは人々に小さい時からどのように刷り込まれているか、どのように生活化しているかを知ることが必要です。資本主義から社会主義の過程で、それそれの段階、民族性などを生かした政治がおこなわれればと思う。イスラムの教えは人を殺してはだめだというものですからジハードとは相いれない教えをもっているはずです。いま必要なのは、即時全面停戦です。