(無題)『水俣一揆一生を問う人びと』 『上映用チラシ』 6月 青林舎 <1973年(昭48)>
 (無題)『水俣一揆一生を問う人びと』 上映用チラシ 6月 青林舎

 人間の生命とかひとの一生とかに的をしぼった交渉というものがあるとしたら、水俣病患者とチッソとのここ数十日に及ぶ交渉は、まさにそれであった。六月下旬に発表の「水俣一揆ー一生を問う人びと」はそれをモチーフにした全編、言葉と表情の映画である。交渉場所に限定された舞台の中でテーマは「どちらが加害者かな、被害者かな……一生の面倒をみてくれるのか、みないのかな」という一言に要約される。患者さんはたてまえの論理に拠(よ)らず、いつも身を捨て.恥をさらし、一点かくすことのないわが身の真実をときあかすことによって百の堆弁に代えた。一つの暴力もなかった。が、時になぐりなぐられた方が安らぎであろうと思われるほど、生死を問う青葉は重く、痛く続けられた。
 交渉がデッド・ロックにのり上げると、患者さんは言葉ではなくだれに聞かせるともない語りに変わる。「私にも嫁にいく機会がありました……女子(おなご)は立派な男をとのぞみます……それが人間です……」(浜本フミヨ)。自分の中に不定形にあった情念の一切をカイコの糸をつむぐごとく吐露するのである。
 怒号から一瞬のうちに変わって美しい人間の声が聞こえてくる。「何もかも知りたかばってん……あんたの座右の銘はなんですか?趣味は‥…」(川本輝夫) これはチッソの首脳にも突き刺さるのがわかる。「これはすなどりのひとの心だ」といくたびも思った。魚心すら理解し、魚とさえ語らった人々である。社長といえともわからないはずはない、と竪く一心に信じているおおらかな人間の声である。
 しかし、水俣病を会社の側で抱え処理してきたチッソの首脳。患者家族の名まで記憶している実務家の重役、チッソの中でも、もはや最終処理はその人をおいてないと財界もみとめる唯一の手駒、現チッソ島田社長はこの語りの前ですら、人間として自由に対応出来ない。文字や言葉が資本の論理以外になかった人にちがいない。チッソなりの弁明、説得。一見、因果のすじみちをたてた理屈も、つきつめると「ひとのいのち」を見失った果ての彼らの言葉である。これを文章にすると、あるいは何とかにも三分の理ということになろう。しかし、映画で彼らが音と画の世界にさらしてしまったものは「人間なるもの」についての固執がゼロに等しいということである。映画はチッソの言い分にも、充分にスペースを割いたつもりである。だが資本と常民とのすれちがいがはげしい亀裂(きれつ)音をたててゆくのが見える。「水俣病」をはさんで、すでに二十年余、ぬきさしならない現代の悲劇の典型を見、それが描けたと思う。