公開にあたって 『医学としての水俣痕-三部作-』上映用チラシ 4月 青林舎
水俣病の映画作りにかかわるものとして、医学の分野を描かなければ事は終らないと自覚していました。しかし水俣病のもつその複雑な構造から、単なる学術映画を作るわけにはいかないし、その動態をまるごと描く方法を模索するまでに時間がかかりました。
水俣病を対象とされた医学者諸氏とお会いし、資料、データ、およびその研究に触れ、改めて、諸氏の目撃した急性期の患者の病像の酷烈さ、その治癒の途を、病因の発見の時に断たれた苦悩を思い知らされました。しかも水俣病が一面では「社会病」であり、医学判断に色濃くく社会問題を重ねあわせていることもわかりました。
映画では、それぞれの研究分野の方々のオリジナリティを失わず、その位置を誤またぬように配慮し、高度の資料性をたもつように努力したつもりです。さらに、今日、慢性発症の実例と可能性をどうみるか、また医学的、疫学的アプローチも試みました 「不知火海」は言いかえれば、全篇疫学的資料とし言うべき確度を残したつもりです。
言うまでもなく、医学者だけの努力で解決するはずのない水俣病であるからには、この映画がまず第-に患者さんの病状の自覚に役立つものでありたいし、企業、行政ほかあらゆる一般の人々に理解できる医学の記録でありたいと念じています。いま訴え出ている申請者3000人、審査会はその機能を果せず、その救済は更に遅れて医学者の責任は鋭く問われています。こうしたジグザグの道を今後も強いられている医学の運命そのものが、水俣病であると思います。そのため、映画は3つの角度から描き、ダイナミズムをとらえなければなりませんでした。この延べ7時間余の4作品は、中間報告であり、今後、資料として扱っていただければ幸いです。