カナダ在住の日系人の皆さんへ <1975年(昭50)>
「映画の旅」―水銀汚染を防ぐために―その御報せとお願い  土本典昭(映画作家)

 カナダ在住の日系人の皆さん

 水俣病の悲惨さをこの十年間見つづけてきた私たちは、この美しいカナダに水俣病の映画をたづさえて警告をつげるために来るようになるとは夢にも思いませんでした。イラク、フィンランド、アメリカ、ブラジルと、この五年ほどの間に有機水銀中毒は世界中に現れはじめました。その報せをきくにつけ、この中毒がどんな恐ろしいものか、工場も会社も、また政府も、そして医学者さえ知らない「かつて人類の味わったことのない文明のおこしたあやまり」である水俣病の実態をせめて映画で知らせたいと考えてきました。
 今度、水俣病の患者3名と私たちはオンタリオ州北西部のインディアン居留地で魚を常食とする住民の間に確実に水俣病が発生しはじめたと聞き、自分たちの金で居留地を訪れました。私たちは映画も百数十人のインディアンの熱心な鑑賞会から始まり、公害反対を叫ぶ人々の希望によりトロントをスタートにオタワ、モントリオール、ケベック北部の居留地からマニトバ、サスカチュワン、アルバータそしてバンクーバーまでの約七週間の「映画の旅」をすることになりました。
 今のカナダでこの映画『医学としての水俣病―三部作』『水俣―患者さんとその世界』(1973年モントリオールでの第一回世界環境映画祭第一位賞)が公害反対、水銀汚染防止を訴える人々にいかに必要かは、9月中旬以来、43回におよぶ映画会の反響から、いやというほど知らされました。恐らく二年三年かけてカナダ全土で上映し、訴え続けてもまだ終わることのない旅でしょう。
 自然と愛するカナダのひとびと、とくに魚や水鳥をとって生活の糧とするインディアンの人びとにこの上の悲劇をくり返してほしくはありません。
 しかしいま関心をもつ人びとやはり少数です。そのためにこの広い大陸を東に西に北に飛ぶ大陸横断「映画の旅」は経費の上で大きな困難につきあたっています。
 私たちも渡航費を自分でつくり、三ヶ月近い時間をこのボランティア活動にそそぐつもりですが、一行四人の数千ドルに及ぶカナダ国内の飛行機代は負担しきれません。
 いづれカナダの人びとの大きな運動が起きる日があるでしょう。しかし、火種がいります。
 いま私たちはどんなことがあっても「水俣病は何か!」を今 カナダ全土の関心ある人びとに映画をもって知らせることを私たちの責任と信じています。それにはお金が要ります。カナダ人の運動者も十数人の人が個人的に全力をつくしてこの映画の旅に協力してくれていますが、まだ少数の人びとでしかありません。今年の三月から日本人医学者たち、患者たち、そしていま私たちの自発的なこの旅に経済的にもご援助を頂ければさいわいです。送り先は、新聞編集部あてに送ってください。お願いします。

 1975年10月20日