不知火海の怒りと静詮-関西の皆さんへの上映依頼状 ドキュメンタリー『不知火海』上映用パンフ 2月25日 映画『不知火海』関西上映事務局
不知火海の怒りと静謐
-関西の皆さんへの上映依頼状
映画『不知火海』は今日、是が非でも作っておかなければならない作品でした。単に、「水俣病いまだやまず」という気持だけでも、広い汚染の実態という訳でもありません。現代、わたしたちの共通の問題としてある、ひとつの公害ー、水俣病の底の深さを、どこまでも見つめ、その行きつく果に、一つの覚悟と勇気と知恵を授かりたいと思ったからに他なりません。この門を一度通らずには、他の公害のあり様と闘い方もつかみ切ることは出来ないだろうという思いにかられながら作りました。
昭和四十八年三月、裁判の終りからスタートを切った『医学としての水俣病(三部作)』と『不知火海』の一連の映画製作を通じ、改めて、水俣病のもつ重さを計ろうと試みました。何作も水俣病に関する映画を作ってきますと、本心、万に及ぶ患者さんの群が、その未来に見えます。そのひとりひとりが”患者”と認められるまでのそれぞれの曲折、さらにまた、患者となってから味わう業苦を思います。そしてヘドロも一向に有効にはのぞかれないでしょう。どこを押しても闇ばかりです。「終りなき水俣病」はその通りです。この程度の分り方では、私たちは心底実はうろたえる外はありません。腹がすわらないのです。
水俣病の患者さんをもうそっとしておいたらーという声もあります。時にそうも思います。しかし、未認定患者が三〇〇〇人に達し、廿年にわたり患者を”認定”する仕事をしてきた審査会が破産同様である一事を取っても、事は大きくなっていくばかりです。しかしそれを報ずる新聞・放送の声は逆に細まるばかりです。”公害”ということばにせよ、”環境破壊”ということばにせよ、すべては水俣に発しています。その警告の源は、患者さんが裸になって心と躰を人々の眼に(私たちにとってはカメラとマイクの前に)投げだしたその事実によってです。裁判は終っても、病気はいささかもよくなりはしません。だとするなら、”水俣病事件”はいまだ第一級、第一線の課題でありつづけ、大きくいうなら、反自然・反人間なるものへの闘い、体制の厚い壁を破る闘いの先頭に位置しつづけていると思います。
この映画をとるため沈黙していた二年間に、水銀汚染のひどい有明海、徳山湾の第三、第四水俣病は、政府とその委員会によって、ひとりも該当するものなしとされました。「現時点では、他の疾病で説明しうる」という理由です。この経過に暗然としてきました。そうなら、水俣病の医学と、この実験場に擬せられた『不知火海』をとことん描き切ろうと思い定めました。水俣の「水俣病患者」をここだけに封じこめることで、国家は、日本各地の水銀汚染と新たな水俣病の発生をねじふせたのです。このことを私たちは水俣の地で見つめつづけ、その怒りを『不知火海』『医学としての水俣病-三部作』のなかにこめることになったのです。
この映画は闘争に即時にむすびつくものではないという評もあります。私たちは、いわゆる「闘争映画」をめざして映画を作ろうとするものではありません。闘う人びとの認識の底に、一つの映画によって、まず事業の共有をしていただきたいからです。ひまと手間をかけて凝縮した、私たちの見た『不知火』を”体験”し、そこから物事を始める一つの手だてとして頂きたいのです。その点で、『不知火海』は意外なまでに一つの静けさと日常にみちていると思われるでしょう。そこから異常な事態の本質へ、のぼって頂きたいと、ひそかに念じています。
水俣病は、すべてが明らかになっているとよく言われます。不知火海は、ただ一社の主力工場によって汚染され、又、プラント内の有機水銀が人体、とくに頭骸骨の中までおかす因果関係だけは明らかになり、そのことで裁判も”勝った”からです。しかしヘドロは一すくいも処理できず、魚の汚染は止まず、いまも急性発症者をみており、しかも、漁業は盛大であり、丸々に太古からの美味を与えつづけている ーしかもそれが、すべて悲劇的中毒に結びつけられているーこれを解くもの、これを解放するものは誰か、何か、いかなる闘いか、その結論はいまだ即答できません。
しかし私たちは、不知火海をみつめることでしか、日本が見えないのです。他のパターンから見るといった器用さはいまはありません。その代り、生々流転ともいうべき、大きな自然とひととの因果を知らされています。そこからもう一度、映画的世界のあり方を批判して頂きたいと思います。そしてこの映画をひろく人々に、とくに海を愛する人に見てもらいたいのです。