書籍「ドキュメンタリー映画の現場」 映画表現における個的主体の追求 鈴木志郎康
衝撃的な『留学生チユアスイリン』
土本さんの映画をみて、僕にとって衝撃的な映画だったのは『留学生チュアスイリン』だったわけです。というのは、その映画、最初はテレビ番組として企画されたらしいんですけど、だんだんと製作の考え方がずれていって、映画自体が運動を起こしていくということになっちゃう。そういうことが起こることが、すごく驚異的だったんですね。映画がそういう力を持っていることがわかつて衝撃的だったわけです。映画ができて間もない頃でしたから、いまから十二年前のことでした。僕自身、NHKという所でドキュメンタリーのキャメラマンをやっていたんです。まあ、ドキュメンタリーのキャメラマンといってもNHKの番組のワク内でやるわけです。で、何か問題を追及していこうと企画がたてられて現場へ出ていくんですけど、難しい事がたくさん起こってくるんです。一番、問題点になるのは、撮ってきたフィルムを、あるいは、撮ってきて素材となっているものを、放送する前に番組として構成していくわけなんですけど、素材の意味のもたせ方というのが非常に問題になるわけですね。NHKというワクがあって、そのワクというのは、日本の社会の中で起こっている事実は事実として変わりはないんですが、そこに与える意味付けなんです。NHKは、一方的な見方はいけない、公平に両方から見なければいけない、そういうのがあるんです。そうすると、現場にいった、こちらが意図していることと、番組として構成されたものが放送されていく時の意味付けがですね、ずれてくるっていうか。それが一番の問題点なんです。現実に起こっている問題を、そこに撮影するという形であってもある程度、関与していくわけですから、その中で何か力になりたいという感じでもありますし、そういうことを思っていながら会社に帰ってくる。それから、今度は、ワク内という製作者個人とは全然違った意味付けが往々にして起こってくるんです。それからもう一つ、放送番組でやっていると、ある問題に関わって、一週間なら一週間、二週間なら二週間、現場に行って取材してまずから、その間に、現場にいる人たちと親しくなったり、あるいは、そこに起こっている問題を抱え込むというのが、ある程度出来るわけですけど、その番組が終わると、また次の番組がある。そうすると、また違う現場に行くわけですね。個人としては見識が広まっていくからいいじゃないかと思われる方がいるかも知れませんけど、やっぱり、一つのことに加担していきたいという気持ちがあるんですけど、ずっとフォローできないということがあるわけです。創造するということが、単なる業務ということになってしまうのですね。土本さんのフィルムは、水俣に関係してもう二十年ですか?自分の問題とほとんど同じような感じで追及していかれる。ところが、NHKの勤め人の一人ですと、そういうことは当然出来なくなってしまい、なにか不満が残るわけですよね。それでも無理してフォローできないことはないと思うんですけど、だらしがないところもあって、できなくなってしまう。そういう雰囲気の、一つの企業のワク内で映像を撮ったりしてますと、土本さんのフィルムというのは、私個人として、いつも学ぶべきものとしであったわけなんです。
映像の様式といったらいいんでしょうか、手法といったらいいんでしょうか、土本さんの映画は、そういう事がいつも同じやり方じゃないんですよね。『ある機関助士』と『水俣ー患者さんとその世界ー』では撮り方は全然違いますし、もちろん『留学生チュアスイリン』の場合も、その映画の撮り方は違う。それで、それぞれの撮り方自体が、現実の中の問題を切り拓いていくという事と非常に密接な関係があると僕は思うんです。それはどういうことかというと、映像として実現していく、その実現した伝わり方が映像そのものと非常に関係してくるということなんですね。機材の問題も加わってきます。最初の頃は、どうしてもサイレントのカメラで撮って音は別に採るという仕方がありましたけど、同時録音のカメラが生まれてくると、作り方が全然変わってしまうことがあるわけです。音と一緒に撮るというのは、リアリティーの問題として圧倒的な力を持っている状態になります。そうした、細かい事が全部絡み合ってドキュメンタリー映画は生まれてくるわですね。
で、今日、僕が話そうと思うのは、そうした映像の在り方と関係してですね、土本さんの映画はその成立の仕方に社会問題が絡んでいる、そうした映画だと思います。映画というのは、一つの社会的な問題を媒体として社会の中で機能していくというか、その意味の持ち方がそこで求められると思うんです。『留学生チュアスイリン』が運動を起こしたと、ちょっと言いましたが、土本さんの映画は運動と共にある。そういう仕方でもって成立しているところがすごく大きいんじゃないかと思います。
で、一方では、僕がNHKにいたってことでいえば、NHKのドキュメンタリーというのは、聴視料を払う視聴者に向けて放送するという、そこにはいろんな立場の視聴者がいるから、一方的な意味あいで放送できないといわれるわけです。だけども、やっぱり、社会的に機能してくる映像として位置づけられるわけじゃないかと、僕は思います。
自己表現としての映画作り
で、NHKにいて映画を撮っているうちに、実際に現場で撮影する時、そこでの問題点と触れ、事実をカメラに収めていくわけなんですけど、その時々に、事件そのものとは関係なく、夕日がきれいだとか、あるいは、その時に雨が降ってきて、その雨の様子がすごくきれいだったとか、対象となっている人物にすごく心を引かれるとか、自分自身の人生上の問題とかが絡んで、それなりに感じるところがたくさんあるんですね。現場にいると、撮っているドキュメンタリーとは関係なく、いろいろな感受性が働き、そういう時のそういう対象、撮りたいなあっていう気持ちが出てくる。でも、それを撮っても、追っかけている一つの事柄のフィルムの中に入れられない。「個人的なものだ」と捨てられてしまう。僕自身、どういうわけか、そういうところにこだわって、自分自身の表現力というか、そういうこともしたいという気持ちがすごくあったんです。もう映画が出来るんじゃないかっていう感じをもってくるようになったんです。
そうした、自分の個人的な感情を表現する場合には、絵を描くとか、あるいは詩を書くとか、文章を書くことも可能なんですけど、僕の場合、自分で詩を書くという人間でもあった。NHKで放送するというのは、必ず何かを視聴者に伝えるわけで、それに関してはキャメラマンとしてそれなりの力を入れてやりますけど、そことは違った、自分の個人的表現を持っていました。そうすると、一方で詩を書いて、一方で一つのワク内で映画を撮ってるという、ちょっと分裂したような感じが出てくる。
そこで、自分で自分の映画を実際、作ろうということになりますと、詩を書いたり、趣味的に絵を描くのとは違ったことが起こってくるんですね。三五ミリの映画を作ろうと思っても個人的にはほとんど不可能です。三五ミリのカメラで映画を作ろうというのはシステムが要求されてきて、個人で全部をやるわけにはいかないし、一六ミリでも、なかなか難しい。八ミリだとまあまあいけそうだという感じがあると思うんですよね。個人的な映像の表現はできる、と。家庭用のVTRカメラでも、八ミリのように個人的な映像の表現は出来ますけど、やっていらっしゃる方はご存じの通り、これで撮って編集してダビングしようとすると非常に映像がガタッと落ちてしまう。なぜ、落ちてしまうかというと、技術的にはテープのスピードが問題らしいんですけど、それじゃ、放送局で使っているVTRカメラはといいますと機材の在り方が違い、全部揃えれば何千万円もするんです。そこで家庭用のは十万円ほどで、まあ映っていればいいっていう感じじゃなく、やっていくうちに自分の表現内容に鋭敏になってきて我慢ができなくなってくる。これじゃ駄目だなという感じになってくるんですね。そういう、一つ一つの在り方の中で映像が結構、決められているんです、意外に。実際、八ミリと一六ミリでも映像の質はかなり違いますね。八ミリと三五ミリとを比べたら、もう決定的な違いがあることがわかると思います。
でも、自分で自分の映像的な表現を持ちたいという気持ちは当然あると思うんですよ。そこで、ドキュメンタリーとして社会的な問題点をつかんで自分の映像表現をすることも出来るわけですけど、これはまた大変ですよね。『六ケ所人間記』というフィルム、ご覧になった方もあるかもしれませんが、この作品は割合と個人的に作っていますけど、聞くところによると、やはりかなりお金がかかっていて、その資金を稼ぐのに大変だったそうです。
それでは、そうした力がなければ個人的な映像表現は無理かというと、でも、まあ、そうではないなと思います。そうではないなぁと思うところから、なんとかして個人的に、自分の自分だけに即したところで映像表現を持ちたいという気持ちが働いてきて、で、そういうフィルムを作るというところが出発点になったんです。僕の映画の出発点になっているところなんですね。NHKの中にいて、もちろん、僕はキャメラマンでしたから、素材はディレクターが提案して、僕自身が提案して参与したこともありますけど、でもやっぱり、放送されてしまうと、自分の考えているのとはやや違うところがある。その、やや違うところのない、全く自分だけの表現意欲を満たしてくれるような、そういう映画を作ろうというようになるわけです。
ところが、会社に勤めていたり、何かしら仕事をしていたりすると、その関係が映画を作る時に出て来ます。詩を書いたり、文章を書いたりとかは暇をみてやればいいんで、家にいて一人で頭の中に思い浮かべて書くことが出来るわけですけど、映像となると、その撮る対象の所に行かなければ絶対に駄目なんですよね。もちろん、ドラマのような映像を表現しようと思えば、役者、俳優の役をやってくれる人との関係も生じてきます。とにかく対象の所に足を運ばないといけないわけですね。
で、そういうことになると、最低限、撮る対象として、どれを選ぶかということになると、ほとんど身の回りのものしか撮れなくなってきて、今度は、何でも撮るかというとそういうことはないんですよね。何かしらに必ずカメラを向けて撮るんだけど、撮らないものもある。そこで、自分で映像を作りたいと思った時、撮るものと撮らないものとが、どういうところに差があるのか。それが一つ問題になってきたりしますね。シャッターを切る時は、その対象に向けて必ず動機があるわけですから、その動機が非常に問題になってきますよね。社会的な問題とか、あるいは何かキチンとそういう問題を置いておけば、その問題に即してシャッターを切る動機は生まれてくるわけなんですけど、自分でただ撮ろうと思う時は、なかなか、その動機が見つけにくくなってきて、何か頭の中にぼんやりと映像作品になるものを考え、それを真似して撮るようになってしまう、ということにだんだんと落ち着いてしまう。ですから、アマチュアの撮るフィルム、ビデオ作品は、非常にオリジナリティが乏しくて、誰かがどこかで見たような、真似事に終わってしまう場合が多い。そこのところをキチンと踏まえていかないから、そうなると思っています。
映像を撮る動機
で、僕も、自分自身の映像を作りたいと思って、最初に撮ったのがやっぱりホームムービーなわけですよね。自分の子どもとかかみさんを撮る。だいたい、誰でもカメラを買って撮影すると、自分の家族を最初に撮りますよね。それから友達とか。旅行に行った時とか。そういうのは映像の動機としては立派なものなんです。例えば、家族を対象にした映像を撮る時の一つの動機として、僕は愛情というものがあると思いますね。好きな人の写真を欲しがると同じように、その人の写真を自分で撮ってそれを自分の手元に置いておきたいという気持ちが出るように、また、赤ん坊が生まれたら生まれたで、これはちょっと自分の愛情を少し超えたところもあると思うんですが、赤ん坊はものすごく育つのが速い。次から次へと表情が変わり、生まれて一カ月で全然違うものになっちゃいますよね。
少し話が先へ飛びますが、三歳になった、僕の子どもに赤ん坊の時のフィルムを見せて「これは、お前だ」と言っても「違う、違う」と絶対に認めないんですよね。「自分は、もうこんなに大きいのに、映っている赤ん坊は赤ちゃんじゃないか」って。「自分は赤ちゃんじゃないから、この写真は自分ではない」。このことは、すごく論理的で、真実を一つ言い当てているんじゃないかと思いますね。それは、映像に撮る、一つの大きな動機になりますよね。つまり、映像に撮るというのは、相手が変わってしまうから、今の現在をとどめておきたいという気持ちがすごく働くからじゃないかと思うわけです。
そのことは、いろんなドキュメンタリーの場合でも、かなり事実ですね。ある問題を追求していく場合でも、昔はこうで、今はこうだ、とか。あるいは、こうでなかった人が、今、こうなってしまった、とか。そうした変化が必ず問題になるわけです。現実というのは、必ず時間の中にあって、どんどんどんどん失われていく。その失われていくものをきちっと押さえておかないと駄目ですよね。それから、悪い事をした人は、悪いところを全部隠してしまおうとするから、それを撮って証拠として相手に突きつけなければならないこともある。これは、土本さんの映画の一つの原理として働いていると思うんです。そういうことは、とても広いところまで含んでいると思うわけです。
僕の家の中で暮らしている赤ん坊が、だんだん成長していく。そうした変化を撮っておきたい気持ちになるのは当然なんで、そうすると、その頃、まだNHKに勤めていましたから、撮ろうとすると休みの日しかない。で、休みの日は疲れているから少しのんびりしようと思うけど、赤ん坊の成長、変化を撮りたいという一つのテーマを設けましたから、NHKで同じように映像を撮るという仕事をしているのとは、全然違うものを撮りたいという気持ちもあるものですから、まあ、そこにエネルギーを割いていったわけです。
その時、僕の場合は、普通のアマチュアの人たちと違うわけでして、映像はどういうものかよく心得ているものですから、うまく撮れるかということと関係なく、どういうふうにしたら自分のホームムービー的に撮ったフィルムが作品として成立するのか、を考えたわけですね。そのことがありました。それは『日没の印象』という映画になりました。この『日没の印象』ですが、僕は一六ミリで作りました。シネコダックというカメラで、三十年前ぐらいのアメリカのアマチュア用の一六ミリカメラなんです。
NHKでふだん使っていたのが何百万円もするカメラでして、そうした高価なものと違う、単純な古いカメラでも同じように映像が撮れるんだ。そういうところでもって、僕はおぼれ込んでいって、手にするカメラというものを主題にし、それから自分の身の回りのものを撮ろうという、自分の中から映像を作りたいという気持ちを映像の上に、全部、素直に表していくやり方でもって映画を作ることを、僕なりに始めたわけですね。社会的にどうかというと、みんなと同じように生活して、同じようにあまりたいした事や問題も起こっていない映画です。普通のドキュメンタリー、あるいは劇映画などの価値観からみたら”ゼロ”に等しいことになるわけです。先程言った社会的な媒体としての映画というものがあり、その中でいろんな美的な、あるいは思想的な、また社会問題的な意味合いが機能している映像とは全く別のところで、ただ”ゼロ”に等しいけれど、自分の中から湧いてくる映像表現という価値が生まれると思うんです。対立というとおかしいんですげど、そういう関係でもって個人的に作られたフィルムも存在する意味がある、と僕は考えたわけです。そういう仕方でもって、僕の場合には映画を出発させました。
G・メカスの『リトアニアへの旅の追想』に刺激されて
もう一つ、そういう映画を作る気になったのは、アメリカの実験映画作家で、ジョナス・メカスという人がいます。このジョナス・メカスという人には『リトアニアへの旅の追想』という映画がありまして、ちょうど、その頃に上映されたわけです。メカスという人は、アメリカでアンチ・ハリウッド映画ですね、実験映画というと意味合いがちょっと狭くなりますけど、アンチ・ハリウッド映画で、純粋な表現映画を展開していった人なんです。彼は、リトアニア人でアメリカに亡命した。彼自身がアメリカに亡命して映画を作るようになったのは、自分の表現手段として、映画というものがすごく合っていたと考えていたそうです。つまり、英語ができないから映像で表現すればいいと単純に考えたのと同時に、戦争中、自分自身がばらばらになり、そのまま映画もばらばらになった、その断片を集めて一本の映画として統合的なものを作るんだ、そういうところが自分の表現にぴったり合っているんだ、ということを言っているんです。
メカスは一度リトアニアに帰り、もう一回アメリカに戻ってくるんですね。そのリトアニアに帰った時、八ミリと一六ミリで撮っているのを編集した映画が『リトアニアへの旅の追想』なんです。それを見た時、非常に個人的な発想から作られているところだけで僕は非常に感動して、それに影響を受けて、作り始めたんです。
でも、その後に『リトアニアへの旅の追想』を何回か見て分かってきたんですけど、メカスの場合、自分の生涯、あるいは友達の上に起こった出来事を記録して一種の記録映画ふうに作っているんです。だけど、それだけじゃなくて、その人生上に起こった事柄をもうちょっと大きく、この地球上、あるいは宇宙の中で起こっている事象のですね、象徴的な出来事としてとらえていく、そうした視点もあることが分かってきたんです。
その映画のシーンを一つだけ言いますと、水がすごく大きな働きを持っている。初め、弟さんが兵役に行く汽車の出発するシーンなんです。弟さんの兵役への出発のシーンであり、同時に、出発、ということを象徴的に表したショットとして使われているんです。つまり、リトアニアという国に行くと”水”から始まるんですね、いろんなことが。小川の水から始まって、要するに”水”というのはご存じのようにみんな生まれた土地の水ということはよくいわれるし、水が合わないともよくいわれますように、人が生きていくうえで水の質というのは大切なんですけど、その水から始まっているんです。そして、井戸のシーンがよく出てくるんです。まあ、リトアニアという国は農業国であまり工業化されていない、映画のシーンは、おそらく戦後かなり経ってからのリトアニアだと思うんですけど貧しいんですね。メカスは自分が生まれた家に行って両親や親戚の人に会う。そこで井戸から水をくんで飲むというシーンがたくさん出てくる。あるいは顔を洗うとか、水に触れるというのがすごく描かれているんです。思い出の土地に帰り、そこで水を飲み、顔を洗う。で、それを撮ることで、事実あったことを撮り、同時に、”水”というものの意味合いをとても深く捉えているということがあると思ったんです。”水”を一種の象徴主義的に扱っているわけです。
『草の影を刈る』『15日間』の場合
そのことは、映像の中ではドキュメンタリーでありながら、事実じゃなくて事実を超えた何か意味合いとして機能させるというか意味を持たせるというか、そういうことが出来るわけですね。僕も、この映画を初めて見た時は、そこまで考えなかったんですが、でも、自分の身の回りを撮るところから出発して、次第に、もっともっと自分の身の回りのものをみんな撮ってしまいたいという気持ちが強くなってきたんです。家族から、次にいろいろな旅先の断片を撮るような映画を作りました。
決定的になったのは「全部、日記映画を撮ってみよう。自分の日記を毎日毎日撮ってみよう」、そういう気持ちを持って映画を撮り出したわけですよね。これは『草の影を刈る』という映画なんですが、三時間二○分という長い映画になった。とにかく、毎日毎日、撮るわけですね。ところが、毎日、自分の生活を撮っていると、同じ物を撮るのが嫌になったり、撮れなくなってくることが起こってくるんですよね。実際、その”日記映画”の撮り始めは、当時、僕は朝早く起きて原稿を書くという生活をしていたもので、冬の十一月からだいたい一月にかけての三カ月間、日の出が遅いので必ずその日の出に立ち会っていました。そうすると、日の出というのが持っている力がまだあり、これを撮っておきたいという気持ちになり、その日の出を撮ることで始まった映画なんです。でも、それを撮っていくうちに、今度はもっと自分の生活の家族の姿を撮ろうと思うんですが撮れなくなっていく。なぜ、撮れなくなってくるかというと、一回撮るとそれでもう済んだという気持ちになるんですね。不思議なところがあるんですよね。
毎日撮ると決めた、その方針を守らなきゃなんないとなると非常に苦しくなってきて、今度は映画に撮る、映像を撮るというのはどういうことなんだろうか、と、まあ、本質を問うというか、あるいは反転するというか、そういう感じになってくるわけですよね。対象を撮るというところから、撮っている自分自身のことが問題になってくる。”日記映画”を撮っているのだけど撮っているのは自分で、自分以外のものが必ず映るわけですよね。毎日毎日生きている自分の姿はどこにもなく、外側が映って自分が欠落させられているような感じになる。
そこで”日記映画”が一つ出来あがって、それじゃ次は自分を撮ったらどうなんだろうと、『15日間』という、十五日間、毎日、自分を撮る映画を作ったんです。カメラの前に座って自分を撮るとなると、別段なにかをやっているわけじゃない。そこで、カメラの前で何も言うことはないわけなんですけど、仕方ないから毎日、自分のやったことをカメラの前で喋ることになったんですけど、ここでも非常に不思議なことが起こったんですよね。カメラに向かって自分自身を撮っていると何か悪い事をやっているような気分に襲われる。こんなことやってちゃいけないんじゃないかつて。これが不思議な感じがして、どうしてそういうことになるんだろうか、と。で、僕の中に、やっぱり土本さんの映画があったり、NHKで要するに社会的な映像を撮っていたりしてましたから、それとの対比関係の中で、「これは全く無意味なことだ」というのがあるんです。無意味な事というものの無意味さが問われてくるわけですね。
ただ、ちょっとひっくり返して考えてみると、自分についてのドキュメンタリーであることは、確かなんです。なんのドキュメンタリーかわからないんだけど、これはやり続けると決めたんだからやる。そういう言い訳みたいなことを喋りながら撮り続けました。
それで、撮ったフィルムを自分で見た時に愕然とするんです。そこには、自分が思っていたのとは違う自分が映っていたんですよね。でも、それは自分に違いないと思うと恥ずかしいというか、そういうものに襲われて、ものすごい混乱に陥る。で、自分で自分を映すフィルムを作ってみてわかったのは、意識していない表情があるということなんですよ。普通、鏡を見るとそこに自分が映っていることは確認できますけど、人間というのは、鏡を見てる時には、絶対に鏡を見てる時の表情を作っていることが、僕は分かったわけです。それから、誰かに写真を撮られる時、必ず、それに対応する表情をとっているから、出来上がってくる写真は、あらかじめ想像できるものなんですよね。だから、恥ずかしなく、カメラの前に立てるわけなんですけど、なんていうか、意味付けがないところにいる肉体の、あるいは顔の表情の自分は、そこに映り、しかし、それで収まりがつかなくなることが分かるんですね。自分の表現を撮ろうとすると、そうしたこと以外にも、いろいろわかってくることがあったんです。
『草の影を刈る』の時、撮るのが嫌になり、あるいは撮れなくなって無理やりに撮っていくんですけど、自分の家から最寄り駅までのコースを何回か繰り返し撮るんです。だけど、そこまでの道を、道をかえても同じような印象で同じところで立ち止まって撮っちゃうことがある。これはどうも、現実について自分の記憶の中に見て覚えているシーンというのがかなり固定しているものだというのが、その時に分かったんです。
例えば、駅から誰か自分の家に訪ねてくる時、駅から電話をよこす。こちらは、その道順を相手によく分かるように教えるけど、来た人は、その道を初めて歩くわけですよね。そうすると、こちらが言っている建物とか目標を見落として間違う人がいるんですね。こちらには、はっきりと分かるのに、どうして、この人には見えないのか、と。要するに、ある風景を見てる自分の中に、なにかしらのイメージがあり、それに合わせて、その道筋なりの印象、イメージを決めて、それが、どうしょうもなく自分の中に出来上がっているということですよね。そのイメージが人間は一人ひとり違うんですね。
そうした『草の影を刈る』という映画を撮っていくと、自分の主観の中にあるものをもう一回、確認しているようなことがあり、そこからどこかに導かれていくような仕方もあるということが問題になるんですね。この映画を撮っていて、やはり、NHKの勤め人の生活をしているという生活と密接に関係した自分の生活意識を変えたいとか。つまり、それはキャメラマンとしてNHKで取材して撮っているフィルムの作り方、映像の作り方になるわけですが、それがものすごく出てくるんですね。そこと別な、自分の表現を撮ろうとしたのに、そこから、なかなか自由になれないようなこともあるんですね。
感覚の意昧合いとしての映像
映画を撮ることによって人は変わり、映画に撮られることによって人は変わるってことがあるわけですげど、やっぱり、なにか決定的なことがあるんですよね。よく下世話にですね、女優さんが脱ぐか脱がないか、と。で、女優さんは一回でも脱ぐとガラッと変わってしまうとよくいわれますけど、自分が隠していたところを全部なくしてしまうと、やっぱり変わってしまう。もう、すべてあからさまになってしまったんだからいいやというか。映像に撮られることによって変わってきます。だから、女優さんが何回も何回も映像化されると、その中で、自分の美しさがどういうふうに出てくるのか、それを自覚していくのが演技の過程かもしれないんですね。ちょっと脱線したかもしれませんが、そういうことだけを映画の主題として考えることも可能かもしれない。
だから、映画というのは、ある一つの社会を、世界を、劇映画のように作っていくこともありますし、ドキュメンタリー映画のように一つの社会的な問題を追求していくことかもしれません。だけど、映画それ自体は人間にとって何かということ、あるいは映像にしていくということは人間にとって何か。そういうことを、つきつめて考えていく中に、もう一つ違った意味合いも出てくると思うんですね。例えば、ドキュメンタリー映画や劇映画の場合ですと、映画が展開していく、その中から、まあ、社会的な事柄であるとか、一つ二つ新しい踏み出しがあるという意味の持ち方を提示していく。そのことが可能だと思う。でも、映像自体だけで考えていくと、もうちょっと違った、映像の持っている意味合いの考え方が出てくるわけです。どういうことかと言いますと、物事の意味は、社会的に決まってくる意味合いもありますけど、そうじゃなくて、もうちょっと感覚の中の意味合いっていうこともあるわけですよね。
映像は、見る人がいて初めて成立するわけで、これは、僕は、いま頃、すごく残念だと思うのは、テレビやニューメディアとかいろいろ発達しているわげですけど、映像をですね、目が見えない人に見せる、そのことを誰も考えないのはよくないんじゃないか、と。そのことを、最近はよく考えるんですね。目の見えない人にも見せる映像というものを作ってもいいんじゃないか。これを考えていくのは、実をいうと、映像というのは、やはり、視覚が非常に大きなものだということですよね。そうすると、視覚の問題は、分かっているようで、かなり分からないわげです。映画というのは、二四コマ、普通の映画は二四コマ、八ミリは一八コマで、それが動いているように見えているんですけど、フィルムの一コマ一コマは全部止まっている映像ですけど、それが一秒間にそれだけのコマ数で動くと、あたかも登場してくるものが動いているように見えたりする。で、その一コマを抜いては駄目なんですよね。ということは、逆に、一コマずつ、必ず人間は見てるわけです。ただ、一コマずつ見てるけど、でも、ある一つの理性的な判断というふうに言ったらいいのかわかりませんけども、ある一つの認識の仕方の中ではとばしてしまってる、一つ一つ止まっていることについては。でも、それは欠けると駄目なんです。
本当かどうか知りませんけど、アメリカでは、「一コマ・コマーシャル」というのが禁止されていると言われていますね。見えないんですけど、一コマだけをバラバラと入れておくと、無意識のうちに喉がかわいてきてコーラがつい飲みたくなる、そんなコマーシャルがある。それで、そうした「一コマ・コマーシャル」は禁止されているという話をよく聞きます。そういうふうに、自分の判断というものを超えたところでも、感覚は認識していくわけですから、そうした点での、視覚の問題としても映画というのは、基本的にはすでに問題になっており、そのへんをどういうふうに考えていくのかも、本当は映画を作る方法の一つの問題としてあるんじゃないでしょうか。
現実の総体の中でさまざまな映像の可能性
映画というものを、そういったところでもどんどんつきつめていくと、映像の社会的な意味合い、あるいは、もっとバックして個人的な、何か人間が生きてることだけの意味合いにおいてもちょっと捉えられなくなってきて、単なる感覚の一つの技術的な問題というふうになってしまうかもしれませんけど、そういうようなところにいくとまた「実験映画」と言われるものとして成立することはあるんですけど、そう言われることで、根本的なことが失われる、そういう気もするのですが・・・映画の中で、よく過去のシーンの再現というのはいろんなふうな仕方でやられます。カラー映画だと、その過去をモノクロにしてみたり。で、なぜ、それは逆じゃないのかと思うんですよね。過去を再現する映画、現実はモノクロで過去だけカラーにしたほうがいいんじゃないかと思うんです。というのは、そっちのほうが鮮明な感じが、僕はしたりするんです。でも、たいがいの映画は、過去のシーンはみんなモノクロにするという処理の仕方をします。なぜそうするのか、カラーを抜いてモノクロにする、その差異が意味の持ち方を決めているわけですよね。で、みんな、そこで違うということがすぐに分かる。カラーが現実でモノクロは過去。そういう単純な考え方でもって決めていかれますけど、僕は、映画というのは、いままで喋ってきましたが、もうちょっと幅広く考えてもいいのじゃないかという気がありましてね。自分でも、生きている時にいろいろな関心を持っている。その関心を持っていることも、それから物事に触れることも、まあ、いい加減に生きているわけで。いい加減にというのは、どうでもいいやという意味ではなく、自分の理性や、あるいは考え方とか、感受性とか、そういったもので制御できないくらいに、いろんなものと触れ合っていきたいということなんですが。そうした、ものとの触れ合いの関係の中で、相対的なものを映画という媒体の中に実現できる可能性があるかな、と思ったりするわけです。自分が考えていることがあり、実は、ほとんどの人がそう思っていると思うんですが、そうした自分の考えはそのまま絶対に他人には伝わらないわけですね。で、その伝わらなさというのは、まあ、しょうがないといえばしょうがないんですけど、でも、伝わらなさと同時に、僕自身に即していいますと、自分の生活している周囲のもの全体を含めて、おおづかみにもってくると何かそこに映画的な空間が出現かもしれないな、するというふうに思ったりするわけです。
スジもなければテーマもないけど、関わり合いの総体みたいなものとして映画が提出する何か。そういう映画を作ってみたりしてるわけです。だから、土本さんの作っている社会的な問題点を追いかけていく映画とはかなり違うところに、自分が作っている映画があるわけです。ただ、僕の映画が成立するためには、いろんな映画がないといけないというように考えるんです。この社会に、世界に、生活していて、社会的に不正義な、よくないことが起これば、やはり、それはよくないと言わなきゃいけない。で、そこに映画というもので関わっていかれる人は、それでやっていけばいいと思う。でも、僕はなかなか、そうしたことが出来ない。だから、ますます土本さんは偉い人だなと思ったりして、土本さんの映画を見続けようとするわけですけど、また逆に、僕は僕なりの映像というものにこだわっていきたいと思っています。映画というのは、やはり、現実の総体を含んで出てきますから、その中からいろいろな意味合いをつかみ出していかなければいけない。そして、そうした映画に関しては言葉があるわけですから、その言葉でもって、取り組んでいくことも、もちろんなきゃいけないわけです。その時、映画批評というふうに割り切って言わないほうが、僕はいいと思うんですね。そういう感じでもって映画をとらえていけば、映画というものは、もっともっと面白くなるんじゃないかと思っているわけです。