[すばらしい世界旅行シリーズ②キューバにつづく中南米の時限爆弾一サンゴとフカと失業の国の革命少年兵たち-]
- インタビュー 『平凡パンチ』 10月31日号 マガジンハウス 1966-10-31
[土本典昭監督『海盗り-下北半島・浜関根-』を語る〈インタビュー〉]
- インタビュー 『映画新聞』 第1号 6月 映画新聞 1984-06-01
[記録映画の世界-水俣病から原発へ-『海盗り-下北半島・浜関根-』をめぐって]
- インタビュー 『社会評論』 6月号 活動家集団思想運動 1984-06-01
[“海”を破壊する原子力-弱者犠牲に強い憤り]
- インタビュー 『北海道新聞』 6月23日付 1984-06-23
[土本典昭監督『はじけ鳳仙花』を語る-記録映画のドラマ性-]
- インタビュー 『映画新聞』 第9号 2月 映画新聞 1985-02-01
[ドキュメンタリーの現在 聞き手:蓮責重彦]
- インタビュー 季刊『リュミエール』 第7号 初版3月20日 筑摩書房 1987-03-20
[異才面談「アフガン難民の中へ」〈インタビュー〉]
- インタビュー 『朝日新聞』 4月28日付 朝日新聞社 1988-04-28
[あの人は今こうしている「テーマはあくまでアフガニスタンの民衆の生活です」]
- インタビュー 『日刊ゲンダイ』 7月14日付 日刊ゲンダイ 1988-07-14
[アフガンの記録映画を撮ってきた土本監督と熊谷さんに聞く]
- インタビュー 『朝日新聞』 1月14日付 朝日新聞社 1989-01-14
[対象に対する愛情こそ(『よみがえれカレーズ』)]
- インタビュー 『朝鮮時報』 3月12日付 朝鮮新報社 1990-03-12
[反響をよんだ日本の記録映画 アムステルダム国際ドキュメンダリー映画祭から帰った土本典昭監督に聞く]
- インタビュー 『思想運動』 428号 1月1日号 活動家集団思想運動 1991-01-01
[水俣病は、終わっていない 人類にとって「ミナマタ」は「ヒロシマ」と同じです]
- インタビュー 『shinRo 高校生の進路』 12月号 1991-12-01
[水俣病公式発見から丸40年の1996年に「水俣・東京展」を開く]
- インタビュー 『読売新聞』 6月7日付 読売新聞社 1994-06-07
[地方に無関心な東京/伝えたい水俣病の「今」]
- インタビュー 『熊本日々新聞』 6月27日付 熊本日々新聞社 1994-06-27
[水俣病を風化させるな]
- インタビュー 『東京新聞』 3月20日付 1995-03-20
[今月のひと 土本典昭]
- インタビュー 『すばる』 9月号 集英社 1996-09-01
[私の水俣体験]
- インタビュー 『熊本日々新聞』 10月29日 熊本日々新聞社 1996-10-29
[患者の素顔通じ「水俣」告発]
- インタビュー 『北海道新聞』 2月23日付 1997-02-23
[輝ける負の遺産]
- インタビュー 月刊『医事研究』 8月号 ニチイ学館 1997-08-01
[水俣から社会が見える]
- インタビュー 『岐阜新聞』 5月19日付 岐阜新聞社 1998-05-19
[「水俣の闘士」にささげる初ビデオ]
- インタビュー 『朝日新聞』 10月5日付 朝日新聞社 1999-10-05
[考えるための道具としての映画]
- インタビュー アート・デザイン・エンターテイメントの「云々」 7月 2003-07-01
[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第三章 「水俣」シリーズの彼方に]
- インタビュー 2008-07-30
[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第五章 失われた九十年代、そして現在]
- インタビュー 2008-07-30
[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第四章 アフガニスタンへの道程]
- インタビュー 2008-07-30
[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第二章 すべては汽車とともに始まった]
- インタビュー 2008-07-30
[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第一章 パルチザン土本典昭前史]
- インタビュー 2008-07-30