[アルバムに記載してあった文章]
- ノート 1945-06-01
[チュア君と私たち]
- ノート 1965-06-04
[私にとっての水俣]
- ノート 1976-01-01
[「不知火海・巡海映画班」活動計画書(内部検討用資料)]
- ノート 1977-05-10
[序章 不知火海の“時間”とは]
- ノート 1982-01-01
[第2章 不知火海の“時間”とは]
- ノート 1982-01-01
[第5章 不知火海の“時間”とは]
- ノート 1982-01-01
[第3章 不知火海の“時間”とは]
- ノート 1982-01-01
[第4章 不知火海の“時間”とは]
- ノート 1982-01-01
[ドキュメンタリー企画90分企画 「されど海」北回帰線の海に生きる]
- ノート 1984-01-01
[TVドキュメンタリー・企画案 第三稿 「銃と革命と」(仮題)-アフガニスタンの今日像―]
- 企画書 1985-04-01
[映画「銃と革命と」アフガニスタンの今日像についての中間報告 及び 今後の課題]
- 企画書 1985-07-01
[(企画ノート)八六年四月 はじめにーなぜ、いま「海は死なず」と題するか]
- 企画書 1986-04-01
[演出ノート 海は死なず-「水俣病その三十年」]
- ノート 『新日本文学』 6月号 新日本文学会 1986-06-01
[付・資料 1985年、既撮影フィルム・メモ 『1985年4月 アフガニスタン・カーブル取材行』(1時間10分)]
- ノート 1988-01-26
[『遺産と和解』演出ノート 1 1988/4/23]
- ノート 1988-04-23
[合作映画『眠れる泉<カレーズ>の復活』(仮題)撮影記 上 残された選択に賭けるアフガニスタンの真情]
- ノート 配信 8月9日脱稿 共同通信社 1988-08-09
[合作映画『眠れる泉<カレーズ>の復活』(仮題)撮影記 下 アフガニスタン人のしたたかな生活を映画に]
- ノート 配信 8月27日脱稿 共同通信社 1988-08-27
[アフガニスタン第二段階のための学習会レジメ]
- ノート 1988-09-01
[「わたしの映画の原作は…」]
- ノート 1989-12-31
[『おんじゅく』構成プラン]
- ノート 1990-01-01
[小川紳介の履歴の事実について]
- ノート 1992-02-11
[「わが水俣病」博覧会・東京展一世界の水俣・水俣の世界一 水俣展企画案]
- 企画書 1992-08-15
[企画解説『されど海……オホーツクのひとびと』について -第2稿-]
- 企画書 1992-12-25
[こども時代に島を去る]
- ノート 1992-12-31
[北方領土問題年表-日・ロ交渉史-]
- ノート 1992-12-31
[世界にアンテナを張る蕎麦屋のあるじ]
- ノート 1992-12-31
[「されど海ーオホーツクのひとびと」演出部 1993,1,28]
- ノート 1993-01-28
[企画書『されど海』検討依頼先]
- 企画書 1993-02-02
[『されど海』シナハン日誌1-3]
- ノート 1993-02-06
[『されど海』シナハン日誌4-8]
- ノート 1993-02-15
[根室の冬]
- ノート 1993-03-01
[企画書・第2稿 1993,3,6 改題『母なる島ー海の告げる声』]
- 企画書 1993-03-06
[企画改訂原案『されど海ーオホーツクの人びと』(16mm・ 2時間または前後篇 3時間)(1993,4,13シグロ提出)]
- 企画書 1993-04-13
[NHK タイトル『オホーツクーわが映画発見の旅…極東ロシアの漁民像』 企画 土本典昭 1993,9]
- 企画書 1993-09-01
[「ドキュメンタリー『存亡のオホーツク』(仮題)…極東ロシアの漁民像を求めて メモ 1993,11,15]
- ノート 1993-11-15
[今、見えている東京展のふたつの光景]
- ノート 1994-12-31
[土本典昭の根室調査報告から存亡のオホーツクまでの経過]
- ノート 1995-07-31
[自作を語る『されど、海 存亡のオホーツク』]
- ノート 1995-08-28
[私の初期作品について]
- ノート 1995-12-31
[公害の原点・水俣]
- ノート 1996-12-31
[講演要旨ー深川高校]
- ノート 1996-12-31
[自作を語るーなぜ十数作の連作をしてきたか]
- ノート 1996-12-31
[記録映画『公害とたたかう-新潟水俣病』(48分) 1968(昭和43)年作品 企画・製作「映画・新潟水俣病」をつくる会]
- 企画書 1998-01-01
[水俣病に関する報告]
- ノート 1998-01-17
[TV企画の提出にあたって]
- 企画書 1998-04-06
[ガイドラインに反対し、北朝鮮にいまこそコメを送れ]
- ノート 1999-01-01
[映画で取材したいもの。]
- ノート 1999-04-30
[企画『水俣の復活』ノート]
- 企画書 1999-04-30
[『パルチザン前史』シーン解読表 ]
- ノート 2000-08-24
[ドキュメンタリー研究会 パルチザン前史について 2000年8月27日]
- ノート 2000-08-27
[『ぱるちざん前史』の背景とキーワード 2000,10,27]
- ノート 2000-10-27
[カナダインデイアンと土本典昭]
- ノート 2000-12-01
[シベリア人の世界の構成 20001215]
- ノート 2000-12-25
[「アフガン『映画論』」続・映画『よみがえれカレーズ』を顧みて …これから観ていただく人のために -十二年前の映画批評に答えて- 2002/3/25]
- ノート 2002-03-25
[もうひとつのアフガニスタン 「在りし日のカーブル博物館-1988」 解説]
- ノート 2003-04-01
[ブレヒトの指針]
- ノート 2003-06-05
[ロバート・フラハティー・セミナーについて]
- ノート 2003-07-19
[啓示に満ちた白神山地]
- ノート 2003-12-02
[イラク派兵を失敗させよう]
- ノート 2004-01-22
[編集台上の思索者、松川八洲雄]
- ノート 2006-12-25
[わたしは『思想運動』を推薦します]
- ノート 2007-04-23
[ただひとりの“存在”・松川八州雄 07/5/20]
- ノート 2007-05-20
[日本のドキュメンタリー映画のかたち]
- ノート 2007-06-09
[「不知火海水俣病」の今後を思う]
- ノート 2007-06-10
[ただ一人の思想家 佐藤忠男さん]
- ノート 2007-08-04
[作者の言葉]
- ノート 2007-08-15
[“水俣だから”出来ること]
- ノート 2007-11-06
[佐藤真-ある典型の軌跡を見せたひと]
- ノート 2007-12-15
[映画塾への手紙 なぜ映画を作ってきたか]
- ノート 9999-01-01
[映画塾パンフ お目の目は節穴か]
- ノート 9999-01-01
[キューバは]
- ノート 9999-01-01
[私の初期作品について]
- ノート 9999-01-01